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まちでであった芸術。そのしごと、しごと場。
by gei-shigoto
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井の頭池・松林図屏風・サント=ヴィクトワール山

1月2日(月)、井の頭公園、東京国立博物館、上野の森美術館。3つの見たいものを見た。好きなものは、よく似ていた。

朝、吉祥寺で降りる。公園口を出ると、無印良品に長い列ができていた。七井橋通りを南へ。天気がいい。目指す方向に、武蔵野の雑木の梢が見える。池に向かって下るので、上だけ見えるのである。坂を下って、七井橋に。急に、視界が開ける。
この日気づいたのは、この池の形状だった。池が丸くて大きいなら、その周りを歩いて、池を外から眺めることになるだろう。
井の頭池は違う。二筋の小川がせきとめられた形をしている。橋の上に、身体が放り出される。自然を外から眺めるというわけにはいかない。気がつくと、分け入っているのだ。風景の中に、立つ。
橋を渡って、井の頭弁財天へ。これがまたこじんまりとした佇まい。小川のほとり。神社というより、人情が迎える。普段の小さな信心を、後押しする。それだけの大きさなのだ。
自然と文化と心身の交歓。ここに、吉祥寺の本質があると思う。庶民的な伝統と、洗練された現代性。大型店とまちカフェ。昼の顔と夜の顔。一つひとつが、同じ力で街に参加していると思う。大学も近くにあるが、街とともに歩んでいて、中央を占めることはない。

中央線に乗って、上野を目指す。見たい絵が2つあったからだ。
家に日本国宝展の図録がある。1990年とある。場所はここ、国立博物館だった。長谷川等伯の松林図屏風を観るのは、それ以来である。
この絵の前に立った。じっと待って、踏みこたえた。すると、さきほどの井の頭池の景色と自然に重なった。この屏風の感動と、井の頭池の感動。自分の2つの感動が、同時につかめた気がした。
濃く描かれた手前の松と、淡く描かれた奥の松。幽玄な霧の松林なのだが、この2種の松の間に、われわれを引き込んでいないか。風景を経験させたい。
全ての松が同じ濃度だったら、ただ外から眺めるほかないだろう。風景には、出会えない。私にとって、風景(芸術)の感動とは、包み込まれ、経験することであるようだ。経験とは、見えているものに引き込まれ、しかし引き込まれすぎず、ただ中に浮かぶことなのだろう。

上野の森美術館へ。デトロイト美術館展。ここに所蔵されているセザンヌの「サント=ヴィクトワール山」は、大学院時代から画集で何度も眺めてきたもの。民俗芸能の研究をしていたのだが、合間に手に取るのはセザンヌの画集だった。
絵の前に立った。青の瑞々しさ。理屈抜きに、いい。これだけで、立ち止まらせる。空や山肌。そして、木立にも震える。味わっていたい。
よく知られているように、セザンヌは、人と対象との間にある空気を感じさせるために青を置いた。そうすると、一番奥の山稜は、もっと青みがかっていなければならない。しかし、山は最奥で輝いている。私は、手前の木立と山稜の間に引き出される。
あの七井橋がまた思い出される。武蔵野の樹林をくぐり抜けると、突然対岸の木立が迎える。私は、風景の中にいる。
セザンヌのこの山の作品は多い。山の存在感は、何度も引き出されている。しかし、この山稜を最も経験させるのは、このデトロイトのものなのである。
by gei-shigoto | 2017-01-02 18:34 | 美術
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