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遠藤幹子 魂が輝く瞬間
遠藤幹子(えんどう・みきこ、1971~)は、日本の建築家である。1997年東京藝術大学大学院建築専攻修了。2001年ベルラーヘ・インスティテュート(アムステルダム)修了。留学中の出産子育てを経て2003年にoffice mikikoを開設。おとなもこどもも楽しめる空間を美術館などで多数手がける。一般社団法人マザー・アーキテクチュア代表理事。桑沢デザイン研究所、京都造形芸術大学非常勤講師。
両親は私にとって素晴らしい教育者でした。父からは文学を、母からは音楽を習いました。魂が輝く瞬間の素晴らしさを教えてくれました。このふたつの世界にいるだけで、私は永遠の幸せを感じます。しかし「文学」と「音楽」の美しさをどうしたら現実の世界に構築し、人々が幸せに生きる場所としてつくれるか、この問いに答えるために私は建築を学びました。 建築は未来のビジョンを描くことからはじまり、具現化するまでをじっくり、そして入念に築きあげる技術(=アート)です。基礎をしっかり据え、頑丈な骨組みをつくり、そこに人が入り幸せに生きるためのさまざまなしつらえを用意します。本来もっている理想を失わないように、気候や風土、お金や法律、さまざまなことを想定しながら、関わる専門家たちと作業をとりまとめます。それは遠くの光を目指して航海する、長い旅のような行為です。 *野崎武夫編『仕事や人生や未来について考えるときにアーティストが語ること あなたはなぜつくるのですか?』、フィルムアート社、2013年。 〔感想〕 なぜ、芸術に会いにいくのか。これはなかなか大きな問いだ。けれども、一言で言えば、思想に触れるためなのではないか。音楽を聴きにいって、その音に彼の思想を感じ取っている。思想に触れたとき、書きたくなるのだ。 この文章には、建築家の思想が端的に表れている。どのような場所を、この世界につくりたいのか。彼女の建築のもたらす感動の質を決めている。 日本語学校の大学院クラスで、7月から理念を掲げることにした。「学生個々人の思想を育てるクラス」というものである。自分の研究を進めるには、その分野の幅広い知識だけでなく、知識の軸となるような自らの思想が必要だと感じたからだ。 以前から、芸術家の言葉を読んで感想文を書いてもらう授業をしてきたが、最近それに加えて、「○○とわたし」という、自分の最も関心のある対象と自分との関係について書くレポートの授業を始めた。 昨年、ある難関大学院志望の学生がいた。日本に来たのが7月で、しかも大学時代と専門を変えるのに、その有名な大学院にしか関心がなかった。研究はほとんど進まなかった。結局大学院に合格せず、進学用の専門学校に進学した。 この学生に、「○○とわたし」というテーマでレポートを書かせたかったとつくづく思う。このレポートは、教師という他者の質問に答える形で作文を重ねていき、それを材料として作成するのだ。 彼女は、何をテーマに選んだだろう。どんな思想を自らのものとして見出し、卒業して行っただろう。
by gei-shigoto
| 2016-06-28 22:27
| 建築
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