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岡本夏木 障害児のことばが教えるもの
岡本夏木は、日本の心理学者である。発達心理学、言語心理学が専門。『子どもとことば』では、ことば以前のコミュニケーションに注目し、どのようにことばが生み出され、そのことばが子どもの発達をどう方向づけるかを語っている。
最後に、障害児にことばを生み出させるこころみに従事するなかで、同時に私たちは、かれらのことばが私たちに教えてくれているものをとらえていかねばならない。私たちは、障害児のことばや子どものことばを、自分たちにくらべて、低い、未発達で不十分なことばとしてとらえ、それらを私たちのことばへ近づけることにおいてしか、かれらとの言語的かかわりを考えていない。しかし、かれらとのコミュニケーション事態のなかにおいては、子どもたちも私たちも、ともにひとりの人格的存在として、自己を表現し、相手と通じあいを求めてことばを用いているのである。そのことにおいて、かれらのことばが、いかに変則的であり、またたどたどしくとも、それがもつ意味は大きいのである。 そして、私たちが自分のことばのなかにすでに忘れ去っているようなことばの本質が、障害児や子どものことばのなかに珠玉のごとく光っているのを見落としてはならないだろう。ことに、私たちのことばが人間疎外を深める手段と化している今日、ことばを獲得しようと苦闘し、たどたどしさのなかに懸命に自己を表現しようとしているかれらの姿からこそ、私たちおとなは自分たちのことばの現状を見直す必要があるのではなかろうか。ことばはもともと心と心の交わりのなかから生まれ、さらにそれによって相互の理解を深める様式として発達してきたのではなかったろうか。障害児や子どもが自分のことばをはじめてひらくのは、自分が信頼し、また自分を理解してくれるその人に向ってである事実は限りなく重いのである。ことばは限られていても、かれらの方が少なくとも私たち現代のおとなより、自己のことばに誠実なのである。 自分の知る特定の人のみを聞き手とするのでなく、未知の不特定多数者を聞き手として想定して話せること、そして自己の心と表現を分化できることのみを、発達の重要な指標として、ただただそのことにむけてことばの教育が集中し、そうしたことばの技術の所有者だけを高く遇してきたところに、ことばのもっとも基本的な性質が圧し去られ、今日の人間疎外への奉仕言語の跋扈がはじまったのである。選挙が近づき、宣伝カーが相ついで得体のしれぬ叫びをあげて走り回るのを聞くとき、また、会議の場で得々と弁ずる「正人君子」(魯迅による)どもの発言を聞くとき、私はひしひしと言語行為の死滅を感じる。そして障害児の無言の抗議が聞えてくる。「あんなのことばじゃない」。 *岡本夏木『子どもとことば』(岩波新書)、岩波書店、1982年。
by gei-shigoto
| 2014-04-26 23:33
| 教育
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