中学の卒業文集のテーマは、宇治川と平等院だった。
修学旅行で京都へ行った。初めてだった。初日、新幹線を降りると、すぐ班行動になった。その頃は珍しかったと思う。先生は、準備が大変だっただろう。
自分たちは、友禅染めの工房にお邪魔した。宇治の手前の木幡という静かな駅で降りると、車で迎えに来て下さっていた。
2階の和室で、4人くらい職人さんが座布団に座って働いていた。手は止めない。ずっと、背中が向いていた。
少し金粉をふらせてもらった。それだけで、ほとんど見る時間だった。
その後、万福寺という禅寺の前を通って、宇治まで車で送って下さった。降りたら川岸だった。
左手はすぐ山だった。春の山から、水がたっぷり流れてくる。この上に、何しろ琵琶湖があるのだから。
右手は、広々とした盆地の風景。緊張が解けて、話しが弾んだ。
宇治川を渡って、平等院に入った。平等院も、軽快だった。
鳳凰堂は、池の水や空に開いていた気がする。そう言えば、寺のまわりの壁も厚くない。
仏教のことはともかく、とにかく爽やかで、それでだったか、美術の時間の絵も、平等院にした。
京都の嵯峨野に暮らす志村ふくみ(1924~、染織家・エッセイスト)は、堂内の壁面に掛けられた、雲中供養菩薩の楽しげに舞う姿に最も惹かれるという。
伏目がちに物静かに舞う天女、恍惚と瞼を閉じてみずから奏でる風琴(ふうきん)
に聞き入る菩薩、虚空にじっと何かを見つめて片膝たてて沈思するかと思えば、え
いっとかけ声もろとも疾走する雲と共に天降るもの、打ち鳴らす太鼓の響き、琵琶
をかき抱き、首をかしげて笛を吹くもの、幡(ばん)をなびかせて露払いの雲にのる
天女、大小の鼓、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、箜篌(くご)、あらゆる楽器が交響曲
のように天空に響きわたる[神居文彰・志村ふくみ著『古寺巡礼 京都13 平等院』、
淡交社、2007年、9ページ]。
筆者は初め、雲中供養菩薩に、紫の上や宇治の姫君、道長の娘彰子といった人たちの面影を探していた。しかし後で知りあいから、100人近い仏師達が、それぞれ母親や娘、妻、恋人を思いつつ彫ったものではないかと言われ、同感したそうだ。
こういうことは記録に残りにくいはず。昔の芸術について書く難しさを感じる。
でも、いい話しだと思った。