まちでであった芸術。そのしごと、しごと場。
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音楽  萩原麻未・成田達輝・横坂源 チャイコフスキー作曲 ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」 18-02-18

美術  冨田章 ラウル・デュフィの絵画の音楽性 18-01-15
音楽  安達真理 シューベルト作曲『冬の旅』 18-01-13
音楽  斎藤憐 合衆国の心を歌った音楽家・ガーシュイン 18-01-12 

美術  岡本太郎 美術に対する初めての感動 18-01-08
音楽  ウィリアム・ジンサー ジョージ・ガーシュインのメロディー 18-01-04
美術  セザンヌ 葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々 18-01-03
音楽  村上春樹 意味がなければスイングはない 17-12-31
音楽  中村孝義 室内楽の理想 17-12-28
その他 山崎正和 時間の躍動と静止 17-12-02
音楽  萩原麻未 リスト作曲「愛の夢 第3番」 17-11-23
音楽  萩原麻未 ショパン=リスト「私のいとしい人」 17-11-13
音楽  萩原麻未 リスト作曲「ラ・カンパネラ」 17-10-28
音楽  萩原麻未 ドビュッシー作曲「前奏曲集第1巻」 17-10-15
音楽  佐藤眞作曲「なぎさ歩めば」 17-09-05 
音楽  萩原麻未 シューマン作曲「謝肉祭」 17-08-26

美術  宮島達男 平和と芸術 17-08-13
音楽  ギーゼキング ピアノとともに 17-07-20

音楽  堤剛・萩原麻未 リヒャルト・シュトラウス作曲「チェロ・ソナタ」 17-06-12

音楽  堤剛・萩原麻未 フランク作曲「チェロ・ソナタ」 17-05-28
音楽  萩原麻未 チャイコフスキー作曲「ピアノ協奏曲第一番」 17-03-19

音楽  成田達輝・萩原麻未 ベートーヴェン作曲「クロイツェル・ソナタ」 17-01-30

音楽  萩原麻未・吉田誠・横坂源 フォーレ作曲「ピアノ三重奏曲」 17-01-22

美術  井の頭池・松林図屏風・サント=ヴィクトワール山 17-01-02

建築  遠藤幹子 デザインで命を救えるか 16-11-05

美術  佐藤可士和 青年期に感じていること 16-10-31


# by gei-shigoto | 2018-12-31 21:27 | リスト

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美術   ナガオカケンメイ デザインという言葉の再定義 16-10-29

建築   吉良森子 今、ヨーロッパで起こっていること 16-10-25
建築  スパイラルスコレー 表参道ケンチク散歩 16-10-23
美術  東京デザイン専門学校 2016原宿祭 16-10-16
建築  猪熊純・成瀬友梨 悩んだ時期の価値 16-10-13
美術  水口克夫 得意技を見つける 16-10-09
美術  水口克夫 昨今のアートディレクション 16-10-03
美術  水口克夫 訴えたいことを明確にする 16-10-01
美術  森村泰昌 おとなの言い分につきあう 16-09-25
美術  森村泰昌 切実感があるかどうか 16-09-22
美術  楠原幸時・ポスターデザインワークショップ 16-09-11
美術  森村泰昌 青春という矛盾の持続 16-09-06
その他 平田オリザ 芸術に触れられる社会 16-08-31
教育  渡邉美樹 自分の「昨日」と比較する 16-08-18
美術  南嶌宏 生きる力を肯定する術 16-08-11
その他 石川直樹 旅を続ける努力 16-07-31
美術  佐藤可士和 感覚的に夢中になれるもの 16-07-17
美術  岡本太郎 自分こそ宇宙の中心 16-07-07
その他 是枝裕和 クリエイティブに向き合う 16-07-02
建築  遠藤幹子 魂が輝く瞬間 16-06-28
その他 野口里佳 作品をつくること 16-06-25

音楽   萩原麻未 武満徹作曲「雨の樹素描Ⅱ」 16-06-17

音楽   萩原麻未・成田達輝・横坂源・吉田誠 オリヴィエ・メシアン作曲「時の終わりのための四重奏曲」 16-05-28

音楽  堀正文・萩原麻未他 ブラームス作曲「ピアノ四重奏曲第1番」 16-05-15

建築  古谷誠章 個性を見極める  16-05-06

音楽   細川千尋ピアノライブ 16-04-29

美術  草間彌生 自分が生きていることの証  16-04-16
音楽  中村昌子 合唱における個と集団  16-04-12

音楽   テディ・パパヴラミ、萩原麻未 ドビュッシー作曲「ヴァイオリン・ソナタ」 16-04-09

音楽  吉祥寺の空とジャズクラブ  16-03-27

音楽   萩原麻未 ラヴェル作曲「ピアノ協奏曲」② 16-03-21

教育  宮台真司 「自分流」にこだわる 16-02-27
音楽  小澤征爾 スタイルを追い求める 16-02-20
建築  安藤忠雄 「旅」を通して 16-02-16
音楽  小林美恵 バッハ作曲「パルティータ第2番」 16-02-06

音楽   萩原麻未 ショパン作曲「ピアノ協奏曲第2番」 16-01-31

建築  SANAA 建築における日本的なもの 15-12-31
その他 マザー・テレサ 日々のことば 15-12-02
その他 宮崎駿 児童文学の使命 15-11-25
美術  荒井良二 絵本がもつ力 15-11-21
美術  三宅一生 デザインのおもしろさ 15-11-18
美術  新野圭二郎 他者との関わりから発生する価値 15-11-14
その他 岡本太郎 壁を破る言葉 15-11-13
その他 瀬戸内寂聴 切に生きる 15-11-10
美術  高橋瑞木 違和感の追求 15-11-07
その他 小倉和夫 アジアの文化的共通意識 15-11-02
音楽  三善晃 音楽における必然性 15-11-01

音楽   萩原麻未 ショパン作曲「ピアノ協奏曲第1番」 15-10-25

音楽  ショパンの生きた時代 15-10-20

音楽   小林美恵・萩原麻未 フォーレ作曲「ヴァイオリン・ソナタ」  15-10-17

音楽  フォーレの生きた時代 15-10-12

音楽   堤剛・萩原麻未 ドビュッシー作曲「チェロ・ソナタ」 15-09-20

音楽  ドビュッシーの生きた時代 15-09-19
音楽  成田達輝・萩原麻未 フランク作曲「ヴァイオリン・ソナタ」 15-09-13
音楽  フランクの生きた時代 15-09-08
音楽  萩原麻未 ラヴェル作曲「ピアノ協奏曲」① 15-08-22
音楽  ラヴェルの生きた時代 15-08-15
音楽  久石譲 音楽を言葉で伝える 14-08-30
その他 大岡信 もう一つのコミュニケーション 14-08-05
その他 村上春樹 個人的な深い集中 14-08-03
その他 アーノルド・ウェスカー 芸術の機能 14-08-01
音楽  フジ子・ヘミング 自分が出てしまう怖さ 14-07-26
その他 吉川幸次郎 中国文学の精神 14-07-20
その他 梅原猛 ものをつくり続けること 14-07-16
教育  広中平祐 共に学ぶつもりで 14-07-12
その他 千住博 芸術という行為 14-07-01
その他 千住博 境界を越えて伝わっていくもの 14-06-30
その他 吉田秀和 都市形成と思想の軸 14-06-21
その他 曽野綾子 行動の評価者 14-06-05
その他 デイヴィッド・ベイルズ+テッド・オーランド 描きはじめるための工夫 14-06-01
教育  内田樹 学びの当事者としての教師 14-05-06
教育  佐伯胖 理解による参加 14-05-01
その他 清水満 日常性に揺さぶりをかける存在 14-04-29
教育  岡本夏木 障害児のことばが教えるもの 14-04-26
教育  清水満 承認と評価 14-04-15
教育  留学生と「壁を破る言葉」 14-04-06
教育  留学生と「楽天主義」 14-04-04
その他 五木寛之 文化の生まれるとき 14-04-01
音楽  久石譲 オーケストラとリハーサル 14-03-27
教育  留学生と「愛する言葉」 14-03-07
その他 岡本太郎・岡本敏子著『愛する言葉』 14-02-18
教育  留学生と合唱芸術 14-02-09
美術  村上タカシ プロジェクトワークの働き 14-01-12
美術  藤井光 「違和感」こそ依頼主 14-01-05
その他 岡本太郎著『強く生きる言葉』 14-01-03
教育  留学生とパスカルズの音楽 13-12-31
美術  千住博 絵とは問いかけ 13-12-16
その他 ヘレン・ケラー著『楽天主義』 13-12-06
建築  西沢立衛 建築と個人の思想 13-11-29
美術  岡本太郎 子供こそ人間 13-11-22
美術  岡本太郎 光琳・非情の伝統 13-11-15
美術  草間彌生 見えた不安を芸術に 13-11-02
美術  岡本太郎 夜の画家・ゴッホ 13-10-26
その他 外国人作家が書く日本文学 日本語使用の意識化 13-10-04
美術  狩野裕子展 13-08-31
美術  メルロ=ポンティ 画家と世界 13-08-03
その他 ディディエ・テロン 内奥からやってくる「叫び」 13-07-16
音楽  村上春樹著「シューベルト「ピアノ・ソナタ第十七番ニ長調」D850 ソフトな混沌の今日性」 13-06-28
その他 吉田秀和著「荷風を読んで」 13-06-07
美術  エドゥアール・マネ 西欧絵画の解放 13-05-25
音楽  他者の発見 ジョン・レノンのわたし探しの旅 13-04-27
音楽  ロマン派の世界観と音楽 時間=意識=音楽 13-04-20
音楽  「芸術」の誕生 ベートーヴェンと音楽 13-04-06
音楽  古典派の世界観と音楽 「性格」としての人間の表現 13-03-23
音楽  バロックの世界観と音楽 感情表現のための音楽 13-03-09
音楽  ルネサンスの世界観と音楽 わたしの目覚め 13-02-23
その他 ストラーダ・ビアンカ 13-01-13
美術  堀川理万子 絵本と絵画 13-01-06
美術  マティス 色彩の交響楽 13-01-05
音楽  バレンボイム音楽論 対話と共存のフーガ 13-01-01
音楽  バレンボイム/サイード 音楽と社会 12-11-10
その他 坂手洋二 演劇は共同体の実験場だ 12-10-28
その他 小原啓渡著『クリエーター50人が語る創造の原点』 12-10-12
音楽  フルトヴェングラー著「作品解釈の問題」 12-08-17
音楽  フルトヴェングラー著「ベートーヴェンの音楽」 12-08-15
教育  日本語の国際普及 世界への能動的な発信手段 12-08-12
その他 内村鑑三著『デンマルク国の話 信仰と樹木をもって国を救いし話』 12-07-29
その他 キリスト教の普遍的犠牲愛 近代をかたちづくった精神 12-07-21
その他 岡本太郎著 『今日の芸術 時代を創造するものは誰か』 12-07-16
音楽  ショスタコーヴィチの生きた時代 12-04-07
その他 近代世界文明とヨーロッパ 12-02-12
音楽  ブラームスの生きた時代 12-01-07
音楽  荻久保和明作曲 混声合唱曲「季節へのまなざし」 11-12-03
建築  SANAA ロレックス・ラーニングセンター 11-11-12
音楽  シューベルト作曲「夜曲 Nachtstück」 11-05-28
美術  千葉隆弘「2頭のクジラ」 11-05-07
その他 そら庵 11-04-29
音楽  吉丸一昌作詞・中田章作曲 「早春賦」 11-01-29  
音楽  ヘンデル作曲 「オンブラ・マイ・フ」 10-12-09  
音楽  ベートーヴェンの生きた時代 10-10-02  
音楽  新実徳英作曲 混声合唱とピアノのための「花に寄せて」  10-07-07  
美術  雪舟筆「秋冬山水図」 東アジアの山水画の中で  10-04-05  
美術  未来を担う美術家たちDOMANI・明日展2009  10-01-22  
美術  菊地武彦展「武蔵野は」 09-12-04 
音楽  Pascals Big Pink Tour 2009 vol.14 09-11-01
美術  Art Plant 野外アート展 in 里山・狭山丘陵 09-10-25
音楽  ヤン・コボウ シューベルト作曲「好奇心の強い男」 09-09-11
音楽  シューベルト作曲 歌曲集「美しき水車小屋の娘」の世界 09-08-31
音楽  シューベルトの生きた時代 09-08-30
その他 宇治川と平等院 09-06-19 
美術  遊工房アートスペース 「日常からはじまるアートの実践」 09-06-16 
音楽  バッハの生きた時代  09-06-08 
美術  鍛造というしごと  09-06-05 
その他 芸術と自然 セザンヌとシューベルト  09-05-30 
音楽  村治佳織 フランシスコ・タレガ作曲「アルハンブラの想い出」  09-04-17 
美術  赤瀬川原平著 『名画読本 鑑賞のポイントはどこか』 09-04-15 
その他 くにたちの桜 09-04-02 
美術  東京都庭園美術館 「ポワレとフォルチュニイ」展 09-03-14 
音楽  国立音楽大学付属高等学校 「1st Spring Festival」 09-03-09 
音楽  坂野知恵 わらべうたの時間 09-02-28 
美術  国立第三小学校 展覧会 09-02-09 
美術  ギャラリーじゃらんじゃらん小舎「これからはじまるはじめの一歩展」 09-01-24 
音楽  穴蔵ライブ&Bar 09-01-04 
その他 田園工房オープンマーケット 「つきいち」  09-01-04 
美術  谷保天満宮の神牛 09-01-04 
美術  セザンヌ主義 父と呼ばれる画家への礼讃  08-12-30 
音楽  宮城敬雄指揮“悲愴” くにたち兼松講堂 音楽の森コンサート 08-12-27 
その他 街劇団えんがわカンパニー“メルヘンな?まちなか音楽エンゲキ” 08-12-27 
音楽  国立第三小学校合唱部 ホワイトクリスマス in ASAHI通り 08-12-26 
音楽  第24回「ここたのナイト」 クリスマスヴァージョン 08-12-22
美術  關 敏 文房具展 08-12-21
美術  井上奈己 個展 08-12-21
その他 音楽エンゲキと大学通り 08-12-19
美術  柳井嗣雄展「paper works」 08-12-17
その他 街劇団・えんがわカンパニーの稽古 08-12-15
# by gei-shigoto | 2018-12-30 00:25 | リスト

萩原麻未・成田達輝・横坂源 チャイコフスキー作曲 ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」

 217日(土)、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール。びわ湖の午後シリーズ51・輝ける未来への源流。

 

萩原麻未(ピアノ) 成田達輝(ヴァイオリン) 横坂源(チェロ)

 

ベートーヴェン作曲:ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」

チャイコフスキー作曲:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」

 

ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」は、1882年、チャイコフスキー(1840189342歳のときの作品。前年に亡くなった、元上司ニコライ・ルビンシテイン(18351881)を偲んで作曲された。

若い頃から名ピアニストとして活躍し、ロシア音楽協会の設立者となり、モスクワ音楽院の初代総長に就任したルビンシテインは、文字通りロシア音楽界を代表する人物だった。そんなルビンシテインは、チャイコフスキーを劇場やサロンに連れ出すなど、気を遣ってくれた恩人だった。1878年には、パリ万博でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏。万雷の喝采を浴びた。

弟のモデストによれば、チャイコフスキーの運命において、ルビンシテイン以上に大きな役割を演じた人物はいなかったという。芸術家としても友人としても、名声を高めるのに力のあった人物で、キャリアを始めたときにこれほど力強く助けてくれた人はほかにいなかった。

チャイコフスキーは、そんな恩人の急死に少なからぬ衝撃を受けた。

 

第1楽章:悲歌的楽章

ピアノの分散和音。教会の鐘が聴こえる。虚ろであるが、何かを宣告するようでもあった。

チェロが第1主題を弾きだす。残された者の奥底だった。嘆きが心の底からのものであること。ただ悲しみを吐き出すのみ。

ヴァイオリンに移る。ここの人間の声の色合い。悲しみはまだ新しい。鮮やかに心を切ること。

そして、ピアノ。取り巻く世界は、どうか。はかり知れない、喪失感の大きさ。ヴァイオリンとチェロの追い立てるような切迫感。ここまでで、世界の大きさとそれを失った動揺を提示し切っていた。

この作品には、「偉大な芸術家の思い出に」という副題がつけられている。しかし、これは、思い出だろうか。まだ、思い出になりきれないものなのだろう。残された者の、今日の悲しみ。それは美しいほど鮮やかで、整理できないままに身体のうちにある。

もつれあい、押し寄せ、迫ってくる。そのとき、ピアノが確かに聴こえてきた。壮大な第2主題。虚ろな心が鼓舞される。亡き人との、交感、つながりを得たい。

しかし、やがて寂寥感に包まれる。今日の現実に帰ってきてしまう。虚ろな想いにとらえられてしまう。後押しする者は、もういない。

沈みこんでいると、再び輝かしい音が聴こえてくる。明と暗の錯綜。あの日から時は過ぎたのに、2つの波が押し寄せ、渦巻き、呑み込まれてしまう。それが、残された作曲家の今日なのだ。

 

第2楽章

〔第一部〕主題と変奏

ピアノのおおらかな調べ。穏やかに晴れる。明るく和やかな心地。この主題は、チャイコフスキーがルビンシテインなどのモスクワ音楽院教授たちと郊外に出かけたおり、ルビンシテインの所望により農夫たちが演じた踊りや歌から考えついたものといわれる。

第1楽章は、屋内における心の葛藤だったのだ。ここには、外光が溢れている。心が開け放たれる。夢のような、懐かしさ。

ヴァイオリンに引き継がれる。丘を眺めつつ、歩んでいく心地。心からの広がり。そしてチェロへ。心の弾み。田園の息吹き。語り合ったあの日。

これは、月日に浄化された過去のできごとなのだろう。思い出なのだろう。自然の変わらぬ姿。悲しみを忘れる。

田園を展望しているところに、亡き人がピアノをひとり弾きはじめる。機知にあふれ、寄り添ってくれる。しかし、人の運命の重みも考えてしまう。重みに耐えようとする。

そんな心のうちと裏腹に、ピアノは軽やかに聴こえてくる。そしてワルツに。都会での姿。心ゆくまで、旋回する。味わいつくす。

そこへ、ピアノの力強い和音。協奏曲のソリストとしての雄々しい姿。スケール感。聴衆を魅了し、世界を見渡す。

今度は一転して、室内楽。フーガの技巧。対話を引きだす才智。

月日が経って、ここまでこんなに描くことができた。しかし、鮮やかな思い出のすきまから、現実が入り込んでくる。ピアノのアルペッジョにのせて、ヴァイオリンとチェロが主題の変奏を奏する。交互に、憂いを込めて。思い出の中にいる者にとって、悲しみは、どこか夢のように甘いのだ。さまよい、焦点が結ばない。

そんなとき、亡き人が肩を押してくれる。すばらしく弾き始める。聴き手自身の心のうちからわき上がり、流れあふれるマズルカ。華麗に染め上げてしまう。こんな生気こそ、真実ではないか。

懐かしさは尽きない。ひたっていたい。しかし、回想は終わる。日が暮れかけていた。

 

〔第二部〕変奏終曲とコーダ

曲はここで終わってもいい。しかし、続くのだ。そうした回想が、創造の魂を動かしたからだ。讃歌の作曲へとチャイコフスキーを誘う。偉大な芸術家に後押しされて、使命を引き継ぐ。一気呵成に書き上げる。駆けあがっていく。

しかし、作曲の半ば、悲しみに立ち帰ってしまう。変奏曲(第2楽章)の主題でなく、悲歌的楽章(第1楽章)の主題に立ち返るのである。今日の悲しみの中へ、再度没入してしまう。何もありはしない。何も見えない。あなたの死は、一つの世界の喪失なのだ。

 

 第1楽章は残された者の今日、第2楽章は思い出と讃歌であると思う。しかし、月日に浄化された思い出でありながら、やはり心のうちでは、複雑なものが交錯し、忍び入ってくる。そこに、悲しみの真正性が、作曲家の誠実さが垣間見えるように思った。

 最後のコーダは、第1楽章の第1主題である。しかし、両者の働きは全く違った。そこまでの道のりが、一緒になって、混然となって上からのしかかってきた。そこまでに舞台上に実現された憂いと歓喜の、屈曲と起伏の、信じがたいほどの働き。

 

 死はどうにも取り返しがつかない。どうすることもできない。しかし、芸術は不滅で、いよいよ輝き、最後の支えになりうる。

 

ミツバチが存在するのは私たちに蜂蜜をもたらしてくれるためであり、私

たちが存在するのは、世界をより美しくし、世界により深い意味を与える

ためである(ヴァレリー・アファナシエフ)。

 

〔参考文献〕

音楽之友社編『最新名曲解説全集 第13巻室内楽曲Ⅲ』、音楽之友社、1981年。

エヴェレット・ヘルム著『大作曲家 チャイコフスキー』、音楽之友社、1993年。

ジョージ・バランシン/ソロモン・ヴォルコフ著『チャイコフスキー わが愛』、新書館、1993年。

マイケル・ポラード著『伝記世界の作曲家 チャイコフスキー』、偕成社、1998年。

伊藤恵子著『作曲家 人と作品 チャイコフスキー』、音楽之友社、2005年。

ヴァレリー・アファナシエフ著『ピアニストのノート』(講談社選書メチエ)、講談社、2012年。


# by gei-shigoto | 2018-02-18 16:36 | 音楽

冨田章 ラウル・デュフィの絵画の音楽性

ラウル・デュフィ(18771953年)は、20世紀のパリを代表するフランス近代絵画家である。アンリ・マティスに感銘を受け彼らとともに野獣派(フォーヴィスム)の一員に数えられるが、デュフィのその作風は他のフォーヴたちと違った独自の世界を築いている。デュフィの陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとしてヨットのシーンやフランスのリビエラのきらめく眺め、シックな関係者と音楽のイベントを描いた。

 以下の文章は、1932年に描かれた《大きな花束》の解説文(冨田章:そごう美術館学芸課長)である。

 

 

 デュフィの作品はよく音楽的であると評される。実際、デュフィは音楽好きで、音楽をモチーフにした作品を数多く残している。特にオーケストラや楽器、音楽会などを描いたり、ドビュッシーやモーツァルト、バッハ、ショパンらに賛辞を捧げた作品などはよく知られている。今回の出品作である《イェール広場、オベリスクと野外音楽堂》にも、無人ではあるが、音楽堂が描かれている。

 本作品《大きな花束》は、もちろん音楽とは直接の関係はない作品ではあるが、音楽的であるといわれるに相応しい多彩さと華やかさを備えている。咲き乱れる花々や、その周りを舞う蝶、辺りに散乱した果物などが、まるでオーケストラの演奏のように響きあい、見るものの感性を刺激する。青、ピンク、赤の三層に塗り分けられた背景は、この絵をいっそう華やかに見せている。

 ところで花、果物、昆虫といったモチーフは、人の世のはかなさを表す伝統的なヴァニタスの静物画によく描かれた。当然デュフィも先達たちの作例は知っていたであろうし、本作品を描くにあたって、そうした作品を意識していたであろうことは大いに考えられる。しかし、この絵に、ヴァニタスの静物画に見られる死を意識したはかなさの寓意は見られない。その鮮やかな色彩や自由奔放な絵筆のタッチには、むしろ生の喜びを讃える、享楽的ともいえる感覚が横溢していて、見事なまでにデュフィ的な作品に仕上がっているのである。

*共同通信事業部編『印象派と近代絵画の誕生:モネからピカソまで』(展覧会カタログ)、共同通信社、1997年。


# by gei-shigoto | 2018-01-15 21:50 | 美術

安達真理 シューベルト作曲『冬の旅』

『冬の旅』(Winterreise)は、フランツ・シューベルトが1827年 に作曲した連作歌曲集である。詩の作者ミュラーは、この年の9月にわずか33歳で夭折し、シューベルトは翌年にもっと若くして世を去った。

作品の世界は、暗く重苦しい。大木正興は、「現実と幻覚との間を彷徨する寂しい男の心は、もう常人の悲哀の範囲を通りこして、狂人のそれに近い」と述べている。青年は故郷に秘かに別れを告げ、旅人として去ってゆく。明るく静かな風景と、暗くみじめな心のうちとの対比。他の旅人が歩く道を避け、悪路を選びながら歩き続けていく。

 

安達真理(ヴィオラ)と深沢亮子(ピアノ)は、24曲の中から、「おやすみ」、「風見」、「菩提樹」、「鬼火」、「春の夢」、「郵便馬車」、「道しるべ」、「宿屋」、「辻音楽師」の9曲を取り上げた。

旅人を見守る何かを感じた。旅人の移ろう、感じやすい心とともに、その背景にある山や森林の変わらぬ息吹が伝わってくる。

 

そんな自然の息吹が象徴するのが、「菩提樹」である。

第1部。ピアノの枝葉のざわめきの描写から始まる。安達のヴィオラは、声楽とは違っていた。青年自身ではないようだ。少し離れている。青年と菩提樹の立っている情景。物語の語り手である。音の立ち上がりの鮮やかさ。母音のまろやかさ、のびやかさ。緑色の薫風。

第2部(中間部)。短調に変わる。青年の歩く冬景色だ。懐かしさにひたっていてはいけない。しかし、そのとき、菩提樹が呼びかけてくる。「若者よ ここへ来てごらん ここならおまえの憩いの場が見つかるよ」。この旅の中で、このような心からの手招きは、この時だけでないか。

木立とのひそやかな交流。こんな形で救われるとは、青年も思いはしなかった。風雪の季節を耐え抜かせる、物語の確かさが描かれた。

 

最後の曲、「辻音楽師」。村はずれで、青年は、乞食楽師を見かける。

安達は、この曲集の結末を、重くしない。ディースカウのように、内なる叫びを置こうとはしない。一つの冬の情景として描く。雪景色の中に並べ置こうとする。

冬の野に立つ樹木の、雪に抗し、燃え続ける生命力。それが旅の間に、知らぬ間に、静かに青年に乗り移ったのか。次の季節の柔らかな木漏れ日が、彼には見えているようだ。

 

*安達真理・深沢亮子『Winterreise 冬の旅』(ART-3150

〔参考文献〕
音楽之友社編『最新名曲解説全集 第22巻声楽曲Ⅱ』、音楽之友社、1981年。
南弘明・南道子著『シューベルト作曲 歌曲集 冬の旅 対訳と分析』、国書刊行会、2005年。


# by gei-shigoto | 2018-01-13 21:35 | 音楽

斎藤憐 合衆国の心を歌った音楽家・ガーシュイン

斎藤憐(さいとう・れん、19402011)は、日本の劇作家である。井上ひさし、別役実らとともに日本劇作家協会設立に尽力し、役員を歴任。若い劇作家の育成や日本の戯曲集を海外に向けて発信するための出版事業に力を注ぐ一方、杉並区の小学校で劇作家による「演劇を取り入れた総合学習」を実施するなど、演劇普及のために幅広く活動した。

 戯曲『アメリカン・ラプソディ』は、語りと曲が一体となって「ラプソディ・イン・ブルー」「スワニー」「サマータイム」の底に流れるジョージ・ガーシュインの魂を浮かび上がらせる一編の詩であり、歌である。ラストシーンに、ガーシュインの作曲をサポートしたケイ・スウィフトは次のように語る。

 

 

 『ポーギーとベス』が不評だったとき、彼に言いました。

 「あなたは貧しい黒人たちのオペラを書いてお客さんにそっぽを向かれた。でも、たばこ工場の女性労働者を描いたオペラ『カルメン』の初演も、お客にそっぽを向かれたのよ。『カルメン』は世間から忘れられたかしら。」

 でも私は、ビゼーが『カルメン』初演の3ヵ月後に、36歳の若さで死んだことは言いませんでした。ガーシュインは39歳の若さで、私たちから去って行きました。

 ジョージが天に召された日、チャールストンとの間に生まれた息子アランが家出をして、モンタナまでヒッチ・ハイクで出かけました。拾ってくれた大型トレーラーの助手席に座っていると、突然、運転手が泣き出しました。そして傍らの11歳になったばかりの少年に、たった今、ラジオが、アメリカ合衆国の心を歌った偉大な音楽家が天に召されたと伝え、それで俺は泣いているのだと言いました。ラジオからは、ガーシュインが最後の入院をする直前に書いたあの曲が流れていました。

 

  1224日。深夜。

  風が雨戸を叩く。

  遠い記憶が風に運ばれて、胸を叩く……。

 

  Our Love Is Here to Stay(1937)

 

*斎藤憐著『アメリカン・ラプソディ ガーシュイン・オン・ガーシュイン』、而立書房、2014年。


# by gei-shigoto | 2018-01-12 20:55 | 音楽

岡本太郎 美術に対する初めての感動

岡本太郎(おかもと・たろう、1911年~1996年)は、日本の芸術家である。1930年から1940年までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも交流した。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文土器論や沖縄文化論を発表するなど文筆活動も行った。テレビをはじめ、あらゆるメディアを通じて発言と行動を続けた。

 

 

 僕がパリに行ったのは十八歳のときだったけれども、当然いろいろ悩みましたよ。僕自身は美術の道を進んで行くためにパリにいったわけで、一人で下宿屋に住んで、まずルーブル美術館に行ったんだが、有名な古典絵画をさんざん見たけれども、「あぁ、そうかそうか」と思うだけ。結構なもんだけど、心に響いてこないんだね。

 それから、その翌日にまた見に行って、まだ入ったことのない19世紀の部屋に入ってみると、部屋のちょっとはずれた所に「あっ!」と思うような絵があった。それがセザンヌの絵だった。えらい衝撃を受けて、震えあがるほど感動しちゃって、涙がふき出た。はじめて近代絵画、自分と同時代の表現、それも色刷りやなんかじゃないナマにふれたんだな。

 それが僕が絵に対する最初の感動、つまり、その、人の絵、美術に対する初めての感動だったわけだけれども……。

 

*岡本敏子・川崎市岡本太郎美術館編『対談集 岡本太郎 発言!』、二玄社、2004年。


# by gei-shigoto | 2018-01-08 00:00 | 美術

ウィリアム・ジンサー ジョージ・ガーシュインのメロディー

ウィリアム・ジンサー(1922~)は、アメリカの作家・編集者・大学講師である。プリンストン大学卒業後、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』の演劇・映画担当記者および論説委員を経て、フリーランスのジャーナリスト、コラムニストとして活躍。自らジャズ・ピアノの演奏や作詞・作曲も手がける。

 

 

ジョージ・ガーシュインは、1920年代の空を駆け抜けた流星のなかでも、だれよりも輝いていた。力強い音楽と人間的な魅力で、時代を明るく照らし出したのだ。ほかの神童とは違っては違って、ジョージは十歳になるまで音楽に対する興味を表に出さなかった。ある日のこと――この話はアメリカのポピュラー音楽における伝説の一つになっている――ニューヨークのロウワー・イースト・サイドにあるガーシュイン家のアパートメントに、中古のアップライト・ピアノが運び込まれた。長男のアイラにレッスンを受けさせるために母のローズが注文したピアノだった。勉強好きなアイラと対照的に、弟のジョージは路上生活を送る子供さながらに、外で遊んでばかりいるわんぱく少年だった。

アイラがのちに語ったところによると、ピアノを見たジョージは「椅子をくるくる回して高さを調節すると、そこに座って鍵盤の蓋をあけ、おもむろに当時流行中の曲をみごとにひきこなした。ヴォ―ドヴィルのピアニストとほとんど変わらないような、心地よく響くリズミカルな演奏に、わたしはすっかり感動してしまった」。ジョージに話を聞いてみると、近所の友だちの家にプレイヤーピアノ(自動ピアノ)があって、そのピアノでよく遊んでいたのだという。アイラはピアノのレッスンを自分から辞退し、代わりにジョージがレッスンを受けるようになった。ジョージはのちに、ピアノに興味をもつようになったのは、実は六歳のときだったと語っている。「ペニー・アーケード(遊技場)の外に立って、プレイヤーピアノで演奏されていたルービンシュタインの『ヘ調のメロディー』を聴いたのがきっかけだった。わたしはその独特の調べにくぎづけになってしまったのだ。いまでもこの曲を聴くと、オーヴァーオールを着て裸足のままペニー・アーケードの外に立ち、夢中になってピアノに耳を傾けていたころの自分を思い出す」

 

 「スワニー」の大ヒットによって十九歳で一躍有名になったガーシュインは、1920年代初頭にブロードウェイで上演されたさまざまなレヴュー(たとえば『ジョージ・ホワイトのスキャンダルズ』)に曲を提供するようになる。「アイル・ビルド・ア・ステアウェイ・トゥ・パラダイス(楽園への階段を作ろう)」など、それらのレヴューで歌われた歌は、それまでにない新しい感覚があった。ロシア系ユダヤ人移民の子として生まれたガーシュインは、産業化・都市化したアメリカの喧噪のリズムを聴きながら育ち、アーヴィング・バーリンの初期のラグタイムを好み、黒人ピアニストの活気あふれるジャズを聴きにハーレムに通っていた。

 こうして、アメリカとアフリカのリズムがガーシュインの曲のなかで一つに溶け合い、ロシア系のユダヤ人音楽に特徴的な、半音低い音を多用した悲しげな響きのメロディーと結びついた。

 

*ウィリアム・ジンサー著『イージー・トゥ・リメンバー アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代』、国書刊行会、2014年。


# by gei-shigoto | 2018-01-04 15:50 | 音楽

セザンヌ 葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々

2日(火)、国立西洋美術館常設展。

この美術館の常設展のテーマは「中世末期から20世紀初頭にかけての西洋絵画とフランス近代彫刻」。2階に上がると、中世絵画の展示室である。息づまる室内。物語と信仰の数々。仰ぎ見るべきだろうか。本当は、日本で、並べて観てはいけないような気さえする。

次いで近世の展示室に移るのだが、観る人と絵画の関係は、どうだろうか。引き継がれているもののほうが多いように感じる。絵が観る人に向かって、気品を発している。

そして印象派の展示室に。ルノワール、シスレー、ピサロ。仰ぎ見るものではなく、私たちと同じ高さの芸術に変わる。この常設展は、この解き放たれる瞬間がいい。

 

セザンヌのジャ・ド・ブッファンの風景画は、その展示室の突き当りにある。マロニエの木と大地の起伏。1885年から1886年にかけて、40代のセザンヌが、プロヴァンス地方のエクス市郊外で描いた作品である。

なつかしい感じがした。以前観たからというわけではない。われわれ自身の風景の記憶に働きかけているようだ。

伝統的な絵画、つまり物語を持った絵画や、写実的な絵画は、圧倒的な一つのメッセージを発して迫ってくる。一方、印象派の絵画は、画家の一つの印象に鮮やかに包もうとする。どちらの絵画も、観る者の記憶にはあまり関心がない。

 

セザンヌの風景画を観ると、私の場合、埼玉の風景が目に浮かぶ。物心ついてから12歳までを過ごした土地だ。家は新興住宅地にあったが、近くには雑木林があり、関東の赤茶けた土があり、少し足を伸ばせば荒川の河川敷が広がっていた。

もちろん、実際の埼玉の風景は、この絵ほど美しくはない。しかし、セザンヌの風景画を今まで観続けてきたことによって、過去の風景の記憶が知らぬ間に彩られたことは確かであろう。

千住博が書いているように、セザンヌは、「絵画史上の今までの約束事に捉われず、自らルールを構築し、モチーフにひきずられない自立した画面の秩序をつくろうとした」画家だった。しかし、理想の絵画空間を構築することが最終目標だったのではない気がする。彼の造形への志向は、われわれの見る行為を、美的な経験に高めるという目的を目指していたのだと思う。

 

一番手前にあるのは、草の緑である。画面の31ほどを占めているのだが、名もない下草が細かい筆触で置かれている。秋のまだ冷え込む前の、何気ない表情。

その緑の野の左手に、4本のマロニエが立つ。しっかりした幹から生え出て、しなやかに伸び、空に精緻なアラベスクを描いている。

そして遠方に横たわる褐色の地層の、控えめな主張。この遠景の存在感は、手前の木々の枝ぶりと引き合っている。

上半分は、空である。劇は取り去られている。近世の絵画にはない、物思う表情。秋にたたずむ、心の模様。

地面の緑、枝のしなやかさ、丘陵の色調の帯、曇り空の表情。それぞれ一つひとつの色彩と質感。観る者を、それらに確実に連れていく絵画。中原佑介が指摘するように、それらのものが対等に、しかも関連し合うものとして、描き切られている。そうして初めて、観る者のまなざしを彩ることができる。

 

  ともあれ、この画家は自然のあらゆるものは対等で、しかも本質的に関連し

合い、それが無限の空間のひろがりをうみだしているものとして「在る」

ということを、次第に厚みを失ってゆく小さな色の面で確かめるように描

いたのである。セザンヌは絵画を「自然に即し」ながら描き、しかも絵画

によって描き得るぎりぎりの可能な地点を目指したのだった。そのこと

で、それは絵画をはみだしてしまう境い目に到達しているように見えるの

である。〔「自然の再現を超えて セザンヌの人と作品」〕

 

 セザンヌの芸術的達成の偉大さをいち早く感じ取って、惜しみない讃辞を捧げたのは、理論家や批評家ではなく、同世代や後輩の画家たちであったと、高階秀爾は言う。ゴーギャン、ドガ、モネ、新印象派、ナビ派、マティス、ピカソ、フォーヴィズム、キュビスム。画家たちはその作品を愛好し、そこから新しい自己の芸術世界を作り上げようとした。

 

〔参考文献〕

中原佑介著「自然の再現を超えて セザンヌの人と作品」(日本アート・センター編『セザンヌ』(新潮美術文庫)、1974年)。

高階秀爾著「日本語版監修者序文」(ミシェル・オーグ著『セザンヌ 孤高の先駆者』(「知の再発見」双書)、創元社、2000年)。

千住博著『名画は語る』、キノブックス、2015年。


# by gei-shigoto | 2018-01-03 01:10 | 美術

村上春樹 意味がなければスイングはない

村上春樹(むらかみ・はるき、1949~)は、日本の小説家、アメリカ文学翻訳家である。早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。1987年発表の『ノルウェイの森』は2009年時点で上下巻1000万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『1Q84』などがある。

 

 

 「意味がなければスイングはない」というタイトルはもちろん、デューク・エリントンの名曲「スイングがなければ意味はない」(It Don’t Mean a Thing, If It Ain’t Got That Swing)のもじりである。しかしただの言葉遊びでこのタイトルをつけたわけではない。「スイングがなければ、意味はない」というフレーズはジャズの神髄を表わす名文句として巷間に流布しているわけだが、それとは逆の方向から、つまりいったいどうしてそこに「スイング」というものが生まれてくるのだろう、そこにはなんらかの成立事情なり成立条件なりがあるのだろうか、という観点から、僕はこれらの文章を書いてみようと試みた。この場合の「スイング」とは、どんな音楽にも通じるグルーヴ、あるいはうねりのようなものと考えていただいていい。それはクラシック音楽にもあるし、ジャズにもあるし、ロック音楽にもあるし、ブルーズにもある。優れた本物の音楽を、優れた本物の音楽として成り立たせているそのような「何か」=something elesのことである。僕としてはその「何か」を、僕なりの言葉を使って、能力の許す限り追いつめてみたかったのだ。

 

*村上春樹著『意味がなければスイングはない』、文藝春秋、2005年。


# by gei-shigoto | 2017-12-31 09:38 | 音楽

中村孝義 室内楽の理想

中村孝義(なかむら・たかよし、1948~)は、大阪音楽大学理事長、教授である。関西学院大学文学部美学科卒業。同大学院文学研究科美学専攻博士課程単位取得満期退学。198587年、旧西ドイツ、ヴュルツブルク大学客員研究員。1991年、大阪音楽大学教授。19992004年、大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウス館長。200612年、大阪音楽大学並びに大阪音楽大学短期大学部学長。

 

 

 ヨーロッパに住めばすぐに了解されることだが、わが国のように海に囲まれた国とは違って、たった一本の線で国と国とが踵を接しているヨーロッパでは、自らのアイデンティティーをよほど明確にもっていないと、その存在がたちまち危うくなるのである。先年の東欧の政変以来、民族の個性が出すぎて、各地で不幸な事態が起こっていることは、ここで改めて指摘するまでもないだろう。それほど彼らは、常に自らの民族の出自を強烈に意識しているのである。

 

しかしまた一方で、EUの経済的、政治的統合を目指して、必死の努力が重ねられていることもヨーロッパ独自の特徴である。アジアをはじめとして、ヨーロッパ以外の地域でこのようなことが考えられるだろうか。つまり彼らには、個性の明確な主張を十分に認めつつ、それを止揚して調和に至ろうという至高の理想があるのである。そしてそれこそ、まさに音楽における室内楽ジャンルの理想に他ならないではないか。要するに室内楽という形態は、個性の自覚と差異の認識、さらにはその差異を超える普遍への努力という、ヨーロッパ文化圏が理想としている在り方を映し出すミクロコスモスのようなものなのである。

 

*中村孝義著『室内楽の歴史』、東京書籍、1994年。


# by gei-shigoto | 2017-12-28 22:10 | 音楽

山崎正和 時間の躍動と静止

山崎正和(やまざき・まさかず、1934~)は、日本の劇作家、評論家、演劇研究者である。大学院在学中から戯曲を執筆し、1963年に『世阿彌』で岸田国士戯曲賞を受賞した。その後評論活動を開始し、『劇的なる日本人』、『鴎外 戦う家長』、『不機嫌の時代』を発表。アメリカ論、室町時代論など射程は広く、『太平記』や『徒然草』『方丈記』などの現代語訳も行なう。1984年には、現代日本文化論『柔らかい個人主義の誕生』で吉野作造賞を受賞した。以後は文芸評論のみならず文明評論にも取り組む。専門の演劇美学に関する戯曲・評論も続けて発表している。

 

 

 これにたいして芸術的な行為は、もはやくり返すまでもなく、まったく正反対の方向に向かっている。それは、あくまでもあの漠然とした感情の全体にこだわり、それを全体として落ちこぼれなく明らかにしようとする行為である。それは「決意」し、「選択」する現実的な自己の背後に回りこみ、まさにその「選択」によって選び落とされたものを思い出す作業なのである。いいかえれば、それは未来へ跳び出そうとする自己を押しとどめ、過去に置き去りにされかけた自己を拾いあげ、その両方から自己を現在にひきとめる仕事だといえるだろう。本当の意味で、いまを生きている自分といえるものを、おそらく私たちはこうする以外に実感することは難しいのである。

 そういえば絵画にせよ音楽にせよ、優れた芸術というものは私たちに時間の躍動と静止とを同時に感じさせる。メルスマンが音楽について巧みに説明したように、芸術の時間は刻々に動きながらけっしてどこかへ過ぎ去っては行かないのである。

 

  音楽は力であり、駆動するものであり、生命力であり、生命の高揚である。

音楽はまた、停滞であり、沈潜であり、静逸である。(メルスマン『時間

と音楽』)

 

 それはたえまなく湧きあがりながら、あたかも空中に凝固しているような印象をあたえるのだが、たぶんこの印象はたんに私たちの錯覚ではあるまい。現実には死に向かって迅速に駆け去って行く人生のなかで、私たちはこういう仕方で辛うじて生きている「いま」を感じとっているのである。

 

*山崎正和著『芸術・変身・遊戯』、中央公論社、1975年。


# by gei-shigoto | 2017-12-02 21:03 | その他

萩原麻未 リスト作曲「愛の夢 第3番」

 1123日(木)、新潟市民芸術文化会館。萩原麻未ピアノリサイタル。

 

  ショパン=リスト:6つのポーランドの歌

  リスト:愛の夢 第3

  リスト:パガニーニによる大練習曲より

  台信遼:秋霖抄

  シューマン:謝肉祭

 

リスト(18111886年)という作曲家を一言で言うのは難しいと言われる。歴史に名を留めた音楽家は数多くいるが、人物像の焦点を一つに結ぶことのできない存在なのである。19世紀の芸術家の多様な側面を、独力で巨大な音楽的人格に作り上げた人だった。

 

幼少時のリストは一人の「神童」に過ぎなかったとされる。その「神童」が、どうして後々社会的に名を残すような存在になったのか。何が彼を変容させていったのか。

ケマル・ゲキチは、リストが156歳のときに社会的障壁にぶつかったことに注目する。

リストは15歳で父を亡くした。これが第一の転機だった。少年リストは母を抱えながら、自ら生計を立てなくてはならなくなった。これを機に、関心は音楽でなく、教会に移ってしまった。彼は教会や家で瞑想にふける日々を過ごし、母親の生活を支えるために最低限のレッスンをする以外、音楽活動から離れてしまった。

 そんなリストの目の前には、階級社会が立ちはだかっていた。19世紀初頭のパリは文化の都として名声を博していた。しかし、社会構造はきわめて階層的で、貴族支配が顕著だった。当時音楽家という職業はファッショナブルで知名度も高く、成功すれば王侯貴族の前で演奏する栄誉を賜ることもできたが、貴族と平等にはならなかった。彼は弟子の一人、カロリーヌ・ド・サン=クリックと恋に落ちたのだが、そのことを知った父親は、リストを解雇し、娘を他の貴族と婚約させてしまった。

 歴然と存在する社会的障壁を打ち壊すことができない絶望感。そのとき彼は、現実と闘うことを選んだ。自分の野心を持ち続けるためには、今までのやり方ではいけない、再構築しなければならないと痛切に感じた。自分自身を進化させたのである。

 そして、音楽は神の言葉を語ることができ、この宇宙に存在するあらゆるものを表現することができると考えるようになった。と同時に、神に才能を与えられた音楽家は、社会において非常に価値のある存在であり、生まれつきの貴族であることによってではなく、与えられたものによって真の意味で尊い貴族になりうる、と認識した。

 

この認識から、リストは社会への奉仕を行った。才能ある者は、その才能を使って他の人に貢献しなければならないと考えたからである。音楽家の地位を上げるということに邁進して、論文を書き、運動をした。新進の音楽家に率先して手を差し伸べた。晩年の彼は、多くの人に無料で教え、経済的に支えることも積極的に行った。それがずっと嵩じて、最後にはバチカンの下級聖職者にまでなった。

 

 こうしたリストの作品の中には、これまであまり重視されてこなかったが、100曲近いピアノ伴奏つきの歌曲が含まれている。1847年、彼はドイツ・ロマン派の詩人、フライリヒラートの抒情詩、「おお、愛しうる限り愛せよ」(1838年作)を、ソプラノのための独唱歌曲にした。

 

 おお愛してください、愛しうる限り!

 おお愛してください、愛したい限り!

 その時が来ます、その時が来ます、

 あなたが墓場に立ち嘆くときが。

 

 そしてあなたの心臓が火と燃えて

 愛を抱き愛を担うように心掛けて下さい、

 もう一つ別の心臓が愛に熱く

 鼓動を燃やして迎える間に。

 

 そしてあなたに心を開く人に、

 出来るだけやさしくしてあげて下さい!

 そしてあらゆる時を楽しくしてあげて、

 悲しい時は与えないであげて下さい。

 

 そしてあなたは口をよく慎んで下さい!

 やがて悪意ある言葉が言われるのです、

 おお神よ、悪意があったわけではないのです。

 でも相手は悲しみながら去って行きます。

 

この詩は、人間愛をうたったものであるとされていることが多い。宗教的な愛を描いた作品であるという見方である。

その一方で、恋愛をうたったものであるという解釈もある。芦川紀子は、この詩は身も心もという、自分の恋人に対する非常に強い愛を歌っていると述べている。また、野本由紀夫は、フライリヒラートが最後に「あなたの墓標の横に立つ時」というような事を書いていることからわかるように、個人的な、いわゆる恋人という意味の愛を書いていると述べている。

恋愛の愛なのだろうか。もっと広い聖書的な隣人愛の愛を歌っているのだろうか。

 

この作品を、リスト本人がピアノ用に編曲したのが、「愛の夢 第3番」である(「愛の夢―ピアノのための3つのノクターン」の1曲)。1850年、39歳のときであった。

 

 温もりと深さ。そして、優しさ。まどろみ。甘く、やさしく、しかし深遠な語り。

 育んできた、愛。歩いてきた、道。こみあげてくるものがある。ともにいるだけで、満たされていくのだ。

 しかし陶酔は、途絶えてしまう。音楽は歩みを止める。にわかに風が舞う。立ち止まり、もの思う。愛は、リストの視野を広げる。そこに、世の中があった。

そこから足早になる。隣人から隣人へと、流れは広がっていく。たった一人を愛するとき、同時に愛は広く生きようとするのだ。

そして愛は、ついに熱く輝く。強い、崇高な訴えとなる。身も心も差し出す。もしあなたを本当にそこまで愛することができたなら、それは世界を包むだろう。あなたとすべてを救おうとするだろう。

 

やさしい出だしだった。包み込まれるようで、時間が流れて、つながり続いて、紡がれていく。時間を、息をのんでただ見つめた。

そしてその次に、奏者からではなく、あくまで作品の内部から充実が生まれてくるところ。高まっていけるところ。音楽観。こういう奏者は、いない。

さらにそこから、世の中に目が自然に開かれていくところ。愛は外へと、広がっていく。こうして、恋愛と隣人愛が、一つの演奏のなかで息づき、出会った。

そこからは、2つの愛が、互いに高め合い、強め合っていくのに任せればよかった。内からの充実に支えられた、比類なき説得力。混然となって、燃焼していった。

 

 この作品は、恋愛の陶酔だけではなかった。聖書的な隣人愛だけでもなかった。高い次元での、両者の燃焼なのだ。

 「愛の夢」とはすなわち、リストの思い描く「愛の理想形」のことなのだろう。

 

〔参考文献〕

ケマル・ゲキチ著「リストにおける美学の構造」『財団法人日本ピアノ教育連盟紀要』第21号、2005年。

児玉幸子他「第21回全国研究大会シンポジウムの記録 リスト―その深遠なるピアノの世界―」『財団法人日本ピアノ教育連盟紀要』第21号、2005年。

杉本安子著「フランツ・リストのピアノ編曲作品について―歌曲からピアノ曲にリストが編曲した作品―」『洗足論叢』第33号、2005年。


# by gei-shigoto | 2017-11-23 22:52 | 音楽

萩原麻未 ショパン=リスト:私のいとしい人

 1112日(日)、桐生市市民文化会館。萩原麻未ピアノリサイタル。

 

  ショパン=リスト:6つのポーランドの歌

  リスト:愛の夢第3

  リスト:パガニーニによる大練習曲より

  台信遼:秋霖抄

  シューマン:謝肉祭

 

フレデリック・ショパン(18101849)は、ピアノを通して人間の魂の発露としての詩的な世界を表現することを本分とした「ピアノの詩人」だった。そのため、それ自体が具体的な内容を持つ他の人の手による詩に音楽をつけるということは、多分に私的なことだった。あるときは、友情の証として友人の詩を歌曲にする。あるときは、自分の心情にあった詩に曲をつけ、日記のように心の内を語る。それだけに、歌曲の一曲一曲は素朴な味わいがあり、ショパンの愛の思い出や、故国を思う心が素直に感じられる。それらが作曲されたときのショパンの心情がとてもよくわかるような気がする歌ばかりである。

平本弘子は、ショパンが現在でも多くの人々にアピールする作曲家として評価される点は、ただ民族音楽を伝承したという点にあるのでなく、彼の感性のなかでそれらの音楽が浄化され、ソフィスティケートされて新しく生まれた点にあるとする。そのうえで平本は、ショパンの歌曲は決して「洗練」されておらず、はっとするほど新鮮な血の通ったショパンを感じさせてくれると述べている。

ショパンはサロンではドイツの有名な詩人・ハイネとも親交があったが、シューマンやリストのように彼の詩を歌曲にしようとは思わなかった。付曲したのは、すべてポーランド語の詩である。平本によれば、ショパンの歌曲はいわゆる「芸術歌曲」ではなく「大衆歌」なのである。

 

ショパンの歌曲は、聴衆に公開されるということは作曲者の存命中にはなく、献呈もされていなかった。1857年に「十七のポーランドの歌」としてユリアン・フォンタナによってまとめられ、出版された。

北村智恵は、2曲目の「春」は麗しき春の風景の中にふと漂う「もののあはれ」を歌った歌であると述べている。そして、ショパンのピアノ音楽に流れる感情を一言で言うと「もののあはれ」ではないかと述べていて、興味深い。

 

「私のいとしい人」は、この歌曲集の12曲目である。ポーランドのロマン派の代表的詩人、アダム・ミツキエヴィチ(17981855)の詩に付曲したもので、1837年、27歳のときの作品。ABAに大きなコーダを持つマズルカ形式で書かれている通作歌曲で、舞曲スタイルの歌曲中の最高傑作である。

 

いとしい人、あなたはきげんがいいと、

甘くはなやいだ声で話しはじめる、

その声はあまりにも心地よくて、

一言も聞きもらしたくない。

だからわたしは、口をはさまず、返事をしない、

わたしはただその声を聞きたいだけ!

話していると、その目が輝く、ほおはばら色にそまり、

真珠のような歯はサンゴの唇の間で輝きはじめる。

ああ! そのとき、わたしはその目に見入る、

わたしはその唇に心奪われる。

その声をもう聞いてはいない、

ただ口づけをしたいだけ!

 

この曲を書く前年の1836年、ショパンはマリア・ヴォジンスカという女性に求婚していた。ポーランドに大領地を所有している貴族の娘だった。ワルシャワ時代、ショパンは彼女にピアノを教えたことがあった。この年、14曲目の「指輪」を書いているのは、小坂裕子が指摘しているように偶然ではないだろう。小坂は、ショパンが「心から愛したというのに、指輪を与えたというのに」という歌詞を怒りを抑えきれないかのように繰り返すことに注目し、マリアと結婚することがたやすいことではないと感じ始めている不安がこの詩を選ばせたのではないかと述べている。

当時のショパンは健康に不安があった。マリアの父が、ショパンの健康を不安に思って、ワルシャワを訪れるほどだった。マリアの母は、ショパンの健康を危惧して、婚約を公にしないようにと注意していた。

その翌年に「私のいとしい人」は書かれた。詩のクライマックス「ああ! そのとき、わたしはその目に見入る」「ああ! そのとき」を、ショパンは三度繰り返す。マリアを想う痛切な気持ちが、そのまま音に移し替えられたようだ。

結局、「私のいとしい人」を作曲した年である1837年の7月、ショパンはマリアから最後の手紙を受け取る。「美しい音楽帖のお礼を申しあげたくてペンを取りました」で始まり、「さようなら、私たちのことを忘れないでください」で結ばれていた。ショパンは、マリアとヴォジンスキ家の人々からの手紙をリボンでまとめ、「わが悲しみ」と書いた。

マリアに贈った音楽帖には、歌曲が8曲収められていたという。「私のいとしい人」は、そのうちの1曲だったのではないか。

 

 この曲を、ピアノ独奏用に編曲したのが、フランツ・リスト(18111886)だった。リストは、王政ハンガリー出身で、ロマン派を代表する作曲家であり、また大ヴィルトゥオーゾとしてその華やかな演奏技術でピアニストとしても活躍した。彼が独自の様式を打ち出したのは、1830年代のことであったが、とりわけ大きな影響を受けたのは、ベルリオーズ、パガニーニ、ショパンという3人の音楽家であった。

 1832年、20歳のリストはショパンのパリデビュー演奏会を聴き、最初の音から心を奪われ、その魂に聴き入った。一方、まったく喝采されないことよりも、無知な喝采をはるかに怖れていたショパンも、リストの賞賛に充分な価値を感じた。

 1830年代前半は、ショパンとリストはしばしば行動をともにし、同じ舞台に立ったことも一度や二度ではなかった。1830年代後半になると、リストがパリを離れたこともあって、二人の交流は冷めていった。それでもリストはショパンに対する敬意を失うことなく、彼自身の演奏会においてしばしばショパンの作品をとりあげ、その普及に努めた。

そんなリストが、1860年、ショパンの全19曲の歌曲の中からは6曲を選び、ピアノ独奏用にアレンジした作品が、「6つのポーランドの歌」である。リストはオペラのトランスクリプションとともに、シューベルトをはじめとする先人や、シューマンなどの同時代の作曲家の歌曲編曲も積極的に行っていたのである。「私のいとしい人」は、この作品の5曲目である。

 

  1.乙女の願い

  2.春

  3.指輪

  4.バッカナール

  5.私のいとしい人

  6.帰郷

 

 穏やかな、語りかけだった。静かな幸福が、身の回りにある。陽光。そよ風。ともにいることの幸せ。どこにも翳りはない。

そこに、一抹の不安がよぎる。問いかけが始まる。

突如、空は翳る。風が舞い、冷気に目覚める。

幸せの高まりは、不安の高まりと化してしまう。激しい高鳴り。鼓動。劇的な情感の展開。将来を夢見る幸福感に、分け入ってこようとする不安。

何がこみ上げ、追いつめるのか。

それは、たった一人を失うことの不安。幸福が深ければそれだけ、失うことの不安は強くなる。

落ち着きを取り戻す。しかしそれは、長くは続かない。

何かが抑えきれない。突き動かすものがある。

心は今度は駆け上っていく。穏やかな思慕は、愛に変わる。その訴えは強く、そして実に広い。

不安と苦しさを、愛の強さに。逆境も恐れも、すべて昇華して差し出したい。

 

まず何よりも、最初の語りかけに聴き入ってしまった。穏やかな何気ない言葉。ともにいることの幸せがあった。

続く胸の高鳴り。切迫感。自らの感情と世界が揺れる。

そして最後の訴えの広さ。不安を愛の強さに変える。愛する者の輝き。

 演奏の中で、自由になれた。そんな不思議な感覚を覚えた。中心に身を置いているようだった。そこで、全てを広げることができた。

 

〔参考文献〕

ギイ・ド・プールタレス著『愛の人 フランツ・リスト』、音楽之友社、1967年。

音楽之友社編『最新名曲解説全集第22巻 声楽曲Ⅱ』、音楽之友社、1981年。

平本弘子著「ショパンの歌曲研究」『福山市立女子短期大学紀要』第11号、福山市立女子短期大学、1985年。

青澤唯夫著『ショパン―優雅なる激情』、芸術現代社、1988年。

下田幸二著『聴くために弾くために ショパン全曲解説』、ショパン、1997年。

パム・ブラウン著『伝記世界の作曲家6 ショパン』、偕成社、1998年。

小坂裕子著『ショパン 知られざる歌曲』(集英社新書)、集英社、2002年。

小坂裕子著『作曲家人と作品 ショパン』、音楽之友社、2004年。

河内純著「F.リストによるシューベルト歌曲のピアノ編曲についての一考察」『尚美学園大学芸術情報学部紀要』第6号、2004年。

福田弥著『作曲家人と作品 リスト』、音楽之友社、2005年。

杉本安子著「フランツ・リストのピアノ編曲作品について―歌曲からピアノ曲にリストが編曲した作品―」『洗足論叢』第33号、洗足論叢編集委員会、2005年。

北村智恵著「ショパンの歌曲」『レッスンの友』9月号、レッスンの友社、2010年。


# by gei-shigoto | 2017-11-13 05:37 | 音楽

萩原麻未 リスト作曲「ラ・カンパネラ」

1028日(土)、川口リリア・音楽ホール。萩原麻未ピアノ・リサイタル。

 

  ショパン=リスト作曲:6つのポーランドの歌

  リスト作曲:愛の夢

  リスト作曲:パガニーニによる大練習曲より

  ドビュッシー作曲:前奏曲集第1巻

 

フランツ・リスト(18111886)。王政ハンガリー出身で、現在のドイツやオーストリアなどヨーロッパ各地で活躍したピアニスト・作曲家。父親の手引きにより幼少時から音楽に才能を現し、10歳になる前にすでに公開演奏会を行っていたリストは、1822年にウィーンに移住し、ウィーン音楽院でカール・ツェルニーおよびアントニオ・サリエリに師事する。1823年にはパリに移り、1824年にパリ・デビュー、イギリス・デビューを果たした。

しかし1827年、父が急死。少年リストは母を抱えながら、自ら生計を立てなくてはならなくなった。父の死、失恋、身分差別。こうした経験は、多感な思春期のリストに大きなショックを及ぼした。彼は神経衰弱による鬱状態となり、演奏活動から遠ざかったために、誤って死亡記事が出たほどだった。宗教的感情に突き動かされた彼は、毎日のように教会に行き、聖職者になることを考えた。

 こうした思春期を送ったリストが、自らの様式を確立していくにあたって、大きな影響を受けた音楽家が、ベルリオーズ、パガニーニ、ショパンだった。

 

リストは、史上最大のヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(17821840)の影響を満身に浴びた作曲家の代表的なひとりであった。

1828年、パガニーニはヨーロッパ諸国への大演奏旅行に出た。ワルシャワではショパンが、フランクフルトではシューマンが、打ちのめされた。しかし、リストほどパガニーニに強く心を揺さぶられた人物はほかにいない。1831年、10代最後の日々を送っていたリストは、パリのオペラ座で開かれたコンサートに出かけ、雷に打たれたような衝撃を受け、「俺は絶対にピノのパガニーニになる。さもなければ気狂いになるまでだ!」と叫んだという。

 その興奮も覚めやらぬうちに書き始められ、改訂を経たのち、1838年に完成されたのが、「ラ・カンパネラ」である(「パガニーニによる超絶技巧練習曲集」の第3曲。1851年に「パガニーニ大練習曲」と改められた)。この曲の名高い主題は、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番の第3楽章、通称〈鐘のロンド〉から取られた。演奏技巧の追求によって音楽そのものの可能性を広げようとする試みを、リストはピアノという土俵でおこなった。材料こそパガニーニから仰いでいるが、そこにつけられた音楽はリストのものである。

 絢爛たる作品だが、曲の構造はシンプルである。主要主題と副主題を交互に反復しながら、変奏を加えてゆく。ピアノの高音域独特の響きを駆使することで、原曲以上に〈鐘〉のイメージをありありと伝えることに成功している。パガニーニが作曲したヴァイオリン協奏曲の原曲よりも、遥かに大きな名声を得た。

 

この曲は、終盤の輝かしいクライマックスが華である。しかし、ではなぜそこまでの道のりが置かれるのだろう。この道のりがなければ、曲の説得力は半減してしまうように思える。

この曲は最後、強い流れのようなもので終わる。パガニーニの原曲にはない、全てが巻き込まれていく終盤が、この曲の生命であろう。

この流れは、運命の表現ではないだろうか。押し戻そうとしてもできない奔流。そうだとすると、前半では、聴き手に自身の人生を振り返らせたい。

曲は繊細に始まる。ここで、自分の美意識を出発点に快速に進めてゆく演奏が少なくない。しかし、それでは聴き手は耳を澄ますことができない。演奏家のピアニズムを外から観客として眺めることになってしまう。

 逆に情感を込めようとする演奏もあるが、テンポが緩んでしまい、訴えてこない。一音一音慈しむように奏でると、こじんまりと舞台上でまとまってしまう。聴き手の心に差し込んでこない。

 

 かすかな音。遠くのほうからだった。空気があった。晩秋である。鐘が虚空に響く。人の心にしみいり、立ち止まらせる。聴き手は耳を澄ませたと思う。

鐘の音は、一つの旋律として流れ始める。回想を促す。人は一人、日常から離れ、もの思う。自身の過去を引き連れて聴くのである。長い道のりがあった。

 音は、小刻みに動き始める。いくつかのドラマ。誰もがくぐりぬけて、歩んできた。

鐘は高く、また低く。反復を始める。挑もうとする精神の動きだろうか。精神の的を絞り、挑んでは戻る。歓喜と困難。いくつもの障害。激動の日々。

 そしてついに、鐘は高く、連打される。かすかに聴こえていた鐘の音が、いつの間にか聴き手の鼓動にじかに重なっていた。鐘なのか、私なのか。ここまで引き連れてきたものが、自らの来歴が、信念が、覚悟が、一緒くたに打たれる。

 曲は強く流れ出す。押し戻せない。そのただ中に、すべてを引き連れて、聴き手はいる。もう、恐ろしいほうに賭けるしかない。

 

 短い曲である。しかし、萩原は、いくつもの観点に立ってみせた。晩秋の空気感、回想、胸の高鳴り、運命の流れ、世界の動転。自身の一つのピアニズムの表現でなく、一つひとつの局面に徹して進んでいく姿勢。それぞれの局面に、聴き手を確実に連れていく演奏。

 ゲーテに、次の言葉がある。

 

  人は至高のものに向かって努める場合にのみ、多面的である。

 

華やかさの裏に、どこか暗い感じがあった、常に魂の中で泣いているような感じがあったリスト。ピアノをさっと弾けたのとは違って、苦しみながら作曲していた。一方で、つねに何かを超えたい、新しくしたいという心を持っていたリスト。そんなリストの多面性を凝縮した作品だと、この日思った。一切を、燃焼する演奏。だから、強く、美しい。自らと世界の人々をつかみ、鼓舞しようと挑み、創造した芸術。

 

〔参考文献〕

手塚富雄著『いきいきと生きよ ゲーテに学ぶ』(講談社現代新書)、講談社、1968年。

音楽之友社編『最新名曲解説全集第15巻 独奏曲Ⅱ』、音楽之友社、1981年。

大木正純著「パガニーニの衝撃から生まれた『ラ・カンパネラ』」『ショパン』204号、ショパン、2001年。

小川典子著「ラ・カンパネラの思い出 私の難曲克服法」『レッスンの友』472号、レッスンの友社、2003年。

福田弥著『作曲家・人と作品 リスト』、音楽之友社、2005年。

イリーナ・メジューエワ著『ピアノの名曲 聴きどころ弾きどころ』(講談社現代新書)、講談社、2017年。


# by gei-shigoto | 2017-10-28 23:12 | 音楽

萩原麻未 ドビュッシー作曲「前奏曲集第1巻」

1014日(土)、フィリアホール。萩原麻未ピアノリサイタル。

 

  ショパン作曲:ノクターン第1番

  ショパン作曲:ノクターン第2番

  シューマン作曲:謝肉祭

  ドビュッシー作曲:前奏曲集第1巻

 

前奏曲集第1巻は、1910年に完成した、ドビュッシーのピアノ音楽の集大成である。ピアノのための小品集ながらも、作曲語法のさまざまな試みや音楽的な美しさにおいて、ドビュッシーの後期における重要作品の位置を占めている。

古代ギリシャ、イタリア、スコットランド、スペイン、イギリス、アメリカ、フランスといった各国の舞曲からなるクラヴィーア組曲のような、異国的、魅力的な作風を持つ性格的小品集的な内容である。彼以後のピアノ音楽の“風景”をまったく塗り替えるほどの意味を持った、傑作群である。

 

印象主義の特徴の一つである「暗示的な表現によって雰囲気を喚起する」ように、表題が各曲の終わりに括弧に入れて示されている。斎藤一次は、この表題のもつ雰囲気や情感は、多義的なニュアンスを持つ、あるいは、すべてを表現しない、俳句や日本画に日頃親しんでいる日本人は比較的理解しやすいのではないかと述べている。ドビュッシーは演奏者と聴き手に、その作品からかれらが何を感じどう表現するかをまかせた。

平島正郎は、即興性を指摘している。ドビュッシーは即興性をつねに重んじたが、「版画」「映像」以上にいっそう徹底して、曲集としてのまとまりから個々の曲を拘束しないようにしているという。

永冨和子は、この12曲の中に、ドビュッシーのエスプリのすべてが投入され、凝縮されていて、ドビュッシーの生きた時代の馥郁たるフランス文化の香りが感じられると述べている。

堀江真理子は、昼と夜の二つの世界を行ったり来たりする感覚を覚えるという。大きく分けて昼と夜、光と闇、希望と絶望、喜びと悲しみ、怒りと笑いなど、対極する二つの要素が全体を構成し、絶妙な配置とともに12曲がしっかりと繋がれているという。

高木裕美は、絶えず流れる〈風〉と〈空気〉を感じるという。それらは、次々と音楽を運び、そこから感じられる歴史やさまざまな情景、人間の持つ感情が想像力をかきたててくれる。

 

私は、この作品の主題は、近代という時代の困難と希望だと思う。芸術家は、時代を誰よりも早く感知する。近代社会の初期に、これだけ向き合ってしまったのである。芸術というものは、いつもそういうものなのだろう。

この作品は、古代の情景から始まる。これは、安定していた社会に対する憧憬だと思う。しかし2曲目、いきなりわれわれは足場を失い、漂う。近代である。この2曲に、作曲家の時代観はすでに明白に表れていると見たい。

そう考えたとき、8曲目「亜麻色の髪の乙女」の女性美は、重い意味を持っている。この作品の中央に立って、作品を前後に分けている。近代にさまよっていた作曲家が、目にしたもの。どの時代にも属さない、無風地帯。爽やかな出会い。

この出会いのあと、近代の困難は影を潜める。その後は、近代を生きる拠り所が並べ置かれるのだ。

 

こうした茫漠とした、広大な、あまりにも遠心的な作品に、演奏家はどう取り組めばいいのだろう。どう切っても、つかみ切れそうにない。焦点を絞れない。

萩原は、傑出した映像群で応えた。舞台上には、映像だけが置かれた。徹底する勇気。全体の構成と、細部の彩度、解像度の高さ。すみずみまでの美しさ、音響の追及。この演奏家の資質は、このような広大な作品を要求するものなのかもしれない。

ドビュッシーは、絵画という芸術が存在していることを認める数少ない作曲家のひとりだったという。「私は音楽とほぼ同じくらい絵(イマージュ)が好きなのです。」と、彼は書簡に書いている。萩原はドビュッシーから、全く新しい、前例のない効果にとんだパレットを与えられた。

 

1.デルフォイの舞姫たち

 第1曲。くぐもった色合い。薄暮のように。ゆっくりとした導入。古代ギリシャの神殿における巫女である。眼の前に展開する、しなやかな動き。しかし舞踊を見せながら、神殿の建築を感じさせていた。荘厳で気高い構築物。

作曲家は近代のただ中に身を置きながら、古代に耳を澄ませたかった。信仰に守られたものの、安らぎ。

 

2.帆

 こうした古代の確固とした足場は、いきなり外された。海上に連れ出されたのだ。そこは近代である。わたしは、この帆の動きを別の舟の上から見ているように感じた。自らの足元の上下の揺れを感じる。心もとなさ。近代の不確かさ。作曲家はそれを描かずにはいられなかった。

 舟を洗うさざなみを見ていると、シューベルトの歌曲集『白鳥の歌』の「都会」を連想した。しかし、あの曲には悲しみがある。一方ここには、悲しみさえない。おそろしい欠落感。

 そこに、雲間から輝き。一瞬の希望。作品を脱け出し、独自の光彩を放った。

 

3.野を渡る風

 作曲家の目は、今度は風のざわめきを見つめる。いくつもの渦と調べ。軽快なトーンも混じって聴こえてくる。

 しかしこういうとき、作曲家は胸のつまりを投げ出さずにはいられない。自然界に、近代に生きる人間がさしはさまれる。

 抑えきれぬ欠落感がむしろ先にあって、そこを埋めるように聴こえてきた音たちを書き留めたのかもしれない。

 

4.音と香りは夕暮れの大気に漂う

そこに、深い大気。黄昏時、パリの街角に立つ。「2.帆」、「3.野を渡る風」と聴いてきて思ったのは、欠落感の無さである。明るい曲ではない。しかし、くつろげる薄暗がりの居場所がある。
 作曲家は、こんな夕暮れの大気に、心を解放していたのではないか。憩うことができた。場末のけだるさ、哀歓。

 

5.アナカプリの丘

 情景は一変した。青空に抜ける、音響。音の純粋なよろこび。快晴の地中海である。カプリ島。風が自由に吹き抜ける。

 情感を持った民謡が流れてくる。おもむきに揺れる。近代の失った表情がここにはあった。島の晴れやかさへの憧れ。

 

6.雪の上の足音

 画面は、一瞬にして色彩を失った。雪景色。再び欠落感である。

 うつむきかげんで、足を進める。人はどこまで、歩めばいいのだろう。足取りは、いつ途絶えるのか。忍び寄る不安。内心の叫び声。残るのは、足跡ばかり。見えない荷の重さ。あてどない道のり。

 ここは、山あいだろうか。しかしそこにある情感は、近代の都会に通じている。

 

7.西風の見たもの

 そんな孤独な人間を、今度は風が襲った。うなり声。思う存分狂ってみせる。荒れるだけ荒れて、何ももたらそうとはしない。行き場のない不安がかたまりになってぶつかり、砕けてしまう。なすすべもない。

 これも、近代という時代なのだろう。とらえどころのない、凶暴性。対話の拒否。人間をつかまえ、翻弄する。人間の疎外。時代の痛ましさ、果てしなさがあった。

 

8.亜麻色の髪の乙女

 嵐はやむ。西風の暴力は、終わる。不思議な無風地帯。平和の訪れを、そのまま音に移した。確かに、出会ったのである。

 これは近代か。前近代だろうか。どこにも属さない、自立した別世界。うるわしさだけが、満たす。息をのむ。心に訪れた平安。爽やかな、中間色。

近代の欠落感のドラマは行き着いた。ここにこうして、無風の理想世界が置かれた。

 

9.とだえたセレナード

 舞台は世俗に切り替わった。ギターをかき鳴らす若者。プライド。恋人の窓の下。

 しかし、それをはぐらかす調べが。男のいら立ち。窓は閉められてしまう。軽快な描写、進行。

 哀れな男の姿である。しかし同時に、スペインの夜の深さがあった。夜と調べ。ドラマは風土に溶け込んでいる。風土は近代にも根強く生き続けている。その色濃さに、気づかせたかった。

 

10.沈める寺

 打って変わって、広大な世界に連れて来られた。ギターにかわって、鐘の音。洋上の荘厳な情景。不信心ゆえに海に沈んだ大聖堂が海上に浮かび上がるという、ブルターニュ地方の伝説。

 次第に姿を現わす威容。ピアノは、世界の中心だった。君臨する。荘厳な情景が現れ出た。作曲家と演奏家、双方の創造する音響、すごみ。近代を見下ろす。

近代の下には、こんな圧倒的な地層が横たわっている。信仰。それも、土に根差した信仰。そういうものへの回帰。

人は誰でも、大いなるものに打たれるときを待っている。

 

11.パックの踊り

 次の解答は、物語である。シェイクスピアの戯曲「真夏の夜の夢」に登場する恋のいたずらをする森の妖精パック。

ややくぐもらせた、森の空気。急速なコミカルな動き。聴き手の心を自在に操る。ショーの舞台のよう。変幻自在。硬直した思考を、批評してみせる。聴き手を操ったあげく、姿をくらましてしまう。

 

12.ミンストレル

 そして終曲。作曲家は、ミュージックホールに足を運ぶ。当時アメリカで流行った興行の一座、ミンストレル。

 陽気なドラムの響き。観客のゆれ、喝采。舞台との一体感があった。都会に生きる人々の、束の間の息抜き。気晴らし。

そこで、メロディアスになる。ロマンチックな流れ。都会の夢に、心を任せるのである。

 

ドビュッシーは恐怖、不安、苦悩といったモチーフに絶えず取り憑かれていた人であったという。ロラン・マニュエルは、「かれは隔絶していた人間です。かれの書簡をよめば、絶望に接するばかりの、息詰まるような苦々しい孤独感が残る。」と述べている。

古代の確固とした信仰、都会の夕暮れの大気、地方の風土の表情、女性のうるわしさ、土に根差した信仰、森の物語、都会のエンターテイメント。ドビュッシーは芸術家として近代という時代をいち早く察知し、人々の困難に、人間の拠り所を対置してみせた。

 

〔参考文献〕

斎藤一次著「ドビュッシー「前奏曲集」の演奏についての一考察(そのⅠ)」『福島大学教育学部論集』30号の3、1978年。

音楽之友社編『最新名曲解説全集 第16巻独奏曲Ⅲ』、音楽之友社、1981年。

V・ジャンケレヴィッチ著『ドビュッシー 生と死の音楽』、青土社、1987年。

高木裕美著「ドビュッシー 前奏曲集第1巻の演奏法について〈Ⅰ〉」『福井大学教育学部紀要第6部 芸術・体育学(音楽編)』26号、1993年。

フランソワ・ルシュール著『伝記 クロード・ドビュッシー』、音楽之友社、2003年。

松橋麻利著『作曲家 人と作品 ドビュッシー』、音楽之友社、2007年。

永冨和子著「ドビュッシー「前奏曲集・第1巻」をめぐって」『レッスンの友』第4512号、レッスンの友社、2007年。

青柳いづみこ著『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』、中央公論新社、2008年。

ロラン=マニュエル著『音楽のたのしみ 音楽のあゆみ――ベートーヴェン以降』(白水uブックス)、2008年。

アンドレ・シェフネル著『ドビュッシーをめぐる変奏 印象主義から遠く離れて』、みすず書房、2012年。

堀江真理子著「ドビュッシーを形成しているあらゆることが凝縮された「前奏曲集」を弾こう」『レッスンの友』第50巻6号、レッスンの友社、2012年。


# by gei-shigoto | 2017-10-15 17:16 | 音楽

佐藤眞作曲「なぎさ歩めば」

佐藤眞(さとう・しん、1938~)は、日本の作曲家。交響曲、オペラ、管弦楽曲、室内楽曲、合唱曲、歌曲などを作曲。代表曲には、合唱コンクールでも幅広く歌われている「大地讃頌」(『土の歌』の終曲)など。

混声合唱のための組曲『旅』は、1962年度の文部省主催芸術祭合唱部門に参加するために作曲したもの。

 

混声合唱組曲『旅』 4.なぎさ歩めば

作詩:山之井愼  作曲:佐藤眞

 

なぎさ歩めば きこゆるは 遠き汐鳴り
せつなくも 胸をうつ 遠く過ぎし日
めくるめく ひかりの波に
声あわせ しぶきあげて
二匹の魚の ほとばしる あの日の宴よ
なぎさ歩めば なつかしき 夏の想い出うかぶ
 
さびしきあまき 愁い はかなくも夢みたる
はるかな海原は 藍にかげろう
なぎさ歩めば なつかしき夏の想い出うかぶ
はてしなき 想い出

 

 

高校で混声をやっていたときに出会った曲。高校・大学のころは、感受性のスキャナーの精度が最も高いときだという。高校時代のように入り込むことは、もうできない。

しかし砂浜を歩くとき、この作品の感覚も、まだどこかにある。現実の砂を踏みしめながら、同時に作品の中にもいる。芸術は、感覚をどこかで規定し続けている。


# by gei-shigoto | 2017-09-05 21:24 | 美術

萩原麻未 シューマン作曲「謝肉祭」

824日(木)、軽井沢大賀ホール。萩原麻未ピアノリサイタル。

 

  シューマン=リスト:献呈

  シューマン:謝肉祭

  ショパン:ノクターン第2番

       ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」

       ワルツ第9番「告別」

       ワルツ第6番「子犬のワルツ」

  リスト:愛の夢第3番

  リスト:パガニーニによる大練習曲より

       第2番「オクターブ」

       第3番「ラ カンパネラ」

       第4番「アルペジオ」

       第5番「狩り」

       第6番「主題と変奏」

 

「謝肉祭」は1835年、シューマンが25歳の年に完成したピアノ小品集で、初期の傑作として知られる。曲は全部で21曲。シューマンは、謝肉祭の仮面舞踏会に、ダヴィッド同盟の人たち、イタリア喜劇の道化を登場させて、一つの物語を暗示してみせた。

 

謝肉祭はカーニバルの邦語訳で、カトリック系ヨーロッパ社会で始まった年に1度の民衆的祝祭である。復活祭の40日前から4旬節が始まるが、その期間は肉を断つ習慣があり、その直前の3日から7日間の飽食と笑いの祝祭である。

降誕祭、復活祭等があくまでも教会の支配下にあった祝祭であったのに対し、謝肉祭は教会の支配と管理が及ばない、日常性から脱した非公式の奔放な祝祭であった。

カーニバルの行事は、グロテスクリアリズムと呼ばれる特別の言語、身振り、衣裳、過剰な装飾等を用い、見世物や行列を広場街路で繰り広げる。そこには抑圧された日常の営為から逸脱した自由で平等な世界があり、笑いを伴った遊びの世界がある。

 

初期シューマンの想像力にとって、仮面舞踏会はひとつの泉だった。作品1、2「パピヨン(蝶々)」、4、5、9「謝肉祭」などすべては、JP・リヒターの小説『生意気ざかり』の仮面舞踏会から印象を得たものである。

それらの中でも「謝肉祭」は、各曲に具体的な標題が付けられることで仮面舞踏会での情景描写が明確になっていることから、シューマンの幻想的なロマンシティズムを感じ取りやすい。

 

21曲それぞれに、機知を凝らした命名がなされている。あるときは音楽にふさわしく、あるときは意味深長、あるときは音楽と矛盾して、とシューマンの複雑な心理を反映するかのよう。曲中には、仮面舞踏会に登場するいろいろな人物が次々と登場してくる。それらの人物たちには、ロマン主義運動の主唱者シューマンの主張と闘争精神が込められている。

 

華々しいロマン主義の勝利で、この作品は終わる。しかし、決して単純な凱歌ではないと思う。シューマンは現代から見れば、成功者だ。しかし彼が20代のころはどうだったか。いつの時代も、伝統というのは決して軽くはない。無理解に苦しむことのほうが多かっただろう。彼の評論のいたるところに、心の屈折が見られるのは、そのためではないだろうか。自分で自分を鼓舞しなければ進めないから、このピアノ小品集に取り組んだ。

小林五月は、次のように述べている。


  幾度かの変身により優雅に飛翔する蝶々(パピヨン)……一方、蝶々のよう
  に飛ぶことの叶わない自分自身――けれど、仮装でかりそめの姿に変えられ
  る仮面舞踏会に、理想と魂の象徴である夕方の蝶々(スフィンクス)を清ら
  か高らかに羽ばたかせた……ここに、音楽作家シューマンの幻夢想的なト
  リックを見たような気がするのです。〔小林五月・武田美和子・杉谷昭子著
  「シューマンの作品にチャレンジ 「幻想小曲集」「謝肉祭」」〕


音楽界の俗物たちには理解されない。しかし、自分の芸術は新奇な流行ではない。普遍性を有している。そこで、謝肉祭という市民の時空を借りたのではないか。

シューマンの天才が初めて完全なかたちで傑作のうちに展開されたのは、この作品9からだとされる。この作品において初めて、シューマンのピアノ音楽の個性とスタイルが確立され、作品の規模においても、独創的な質においても、ピアノ史上の一頁を飾るに足る、名作の域に達した。

第1曲「前口上」

開幕。シンフォニックな輝かしさ。仮面舞踏会の招待客たちの高揚感。

決然とした構成を前面に提示する箇所と、大胆なデフォルメを行う箇所。この対比の鮮やかさが、私をまず引き入れた。引き入れられ、祝祭の核心に立つ。

ふところに迎え入れておいて、しかし振り切る。さまざまな角度から、この祝祭の時空に切り込み、出会うことになる。鮮やかに切り結ぶ力。

これから先の予感に、満たされる。ここで終わっても、一つの芸術であった。

 

第2曲「ピエロ」

一転して、まどろむ。華麗な序奏直後に、道化たちが活写される。

ピエロとこの次に登場するアルルカンは、ともに16世紀から18世紀の初めにイタリアで栄えた即興喜劇「コメディア・デル・アルテ」の登場人物である。ピエロの浸る、空想の世界。

 

第3曲「アルルカン」

今度は、歯切れのよさ。軽やかさ。ちょっとぎこちないワルツのリズムにのって進んでいく。リズムの軽快さと、重々しい響きの対比。

 

第4曲「高貴なワルツ」

そこへ、もう一つワルツが続く。今度は、流麗に。しっとりとした空気に変わった。

中間部にやや、メランコリックな部分をはさむ。しめやかに訴える。

 

第5曲「オイゼビウス」

次に登場したのは、架空の人物。シューマンの分身で、ダヴィッド同盟の指導的人物。内省的なシューマンの一面を表わす。

七連音符と4分の2拍子の交錯。ためらいがちな、思索。詩人のつぶやきさえ聞こえてくるようだ。

 

第6曲「フロレスタン」

そこへ、もう一人の分身が現れる。シンコペーションの当たり。激しく、情熱的、直観的で行動性のある性格。同時代の世の中に対する、抑えきれない問題意識。焦燥感。

気負いが高潮して、一瞬宙に迷う。

 

第7曲「コケット」

その気負いに、肩すかし。娼婦にみごとにかわされる。

目配せと誘い。艶めかしく、踊る。愉快に進む。

 

第8曲「応答」

前曲「コケット」の動機に対する返事になっている曲。コケットの序奏の部分を利用して、コケットに返答をしている。

 

第9曲「パピヨン(蝶々)」

その穏やかな雰囲気が、破られる。蝶々は、ロマン主義精神では、魂または理想の象徴とされ、夕暮れ時から夜に飛ぶ蝶々のことをスフィンクスと呼んだ。飛び交う蝶の羽ばたき。疾走感。

 

第10曲「踊る文字」

全曲に関連のあるASEs).CHの音そのものの踊り。速い3拍子を踊る。

草書のような、自在な扱いだった。

 

第11曲「キアリーナ」

そして次の「キアリーナ」へ。後に妻になるクララである。

ゆったりとした入り。しかし、一点を目指す。心身を整え、身構える女性。

萩原は、ここに含まれる悲壮感を隠さない。一点が、高い。高く設定せずにはいられない、人生。譜面との格闘。技術と精神の鍛錬。はるか天上を志向しているのか。ゴシックの尖塔のように。

今まで聴いてきたなかで、一番この演奏家の姿と重なった。クララか萩原か。どちらか一方に、決めて聴くことができない。

シューマンはここで、この演奏家に自己表現の場を与えた。

 

第12曲「ショパン」

そこに、夢が流れてくる。舞台を鮮やかに流す。ショパンのノクターン。

「諸君、帽子を取りたまえ。天才だ。」ショパンを天才として初めて世に告げたのは、シューマンの最初の公開評論だった。そんなシューマンの、音楽による音楽批評。

哀愁を帯びた美しい単旋律。アルペッジョの伴奏。夜の冷気、輝き。伸びやかさ。

 

第13曲「エストレラ」

ショパンをはさんで、シューマンは、もう一人の女性を置いた。恋人であったエルネスティーネである。天を目指す女性、クララ。それに対する、地の女性の姿。懐に飛び込んでくるような情熱的な音楽。力強く、誇り高く。

 

第14曲「めぐりあい」

3人の性格への肉迫。厳しい対峙。そこから、さっと舞踏会の情景に移る心地よさ。謝肉祭のシーズンに夜毎に行なわれる仮面舞踏会で、再びめぐり会った人たちの喜び。恋人の再会を思わせる中間部。

シューマンは、天才の生きざまと、われわれの情感を、こうして並べおくのである。

 

第15曲「パンタロンとコロンビーヌ」

そこへ再び、古典喜劇の道化役者が登場。パンタロンがコロンビーヌを追いかけまわしているのか。コミカルな騒動の顛末。退場するときは、しっくりと仲良さそう。

 

第16曲「ドイツ風ワルツ」

そこに、ワルツが流れてくる。デリケートな情感。静と動の大きなつくり。すばらしくシューマネスクな世界に引き戻す。


第17曲「パガニーニ(間奏)」

しかしこの世界を、シューマンはあえてパガニーニに破らせるのである。萩原は聴き手を振り切る。外界はもう目に入らない。難解な状況に至ってしまう。ここまで凝縮しないと、天才は気がすまない。ここまで身を刻むのか。

もう一度ワルツに戻ってくる。舞台は一応落ち着きを取り戻す。しかし、芸術の残像は強く、消えそうにない。


第18曲「告白」

そんな状況に、静かな思慕が置かれた。やさしく、遠くを見るよう。言葉が口から漏れる。情景を音で暗示するだけでなく、告白する人の気持ちにさせる演奏。誰もが一人の詩人になるのである。


第19曲「プロムナード」

そんな詩人たちを、広く外へ解放する。混雑した舞踏会の会場から、ひんやりとした夜に出るのだ。最も美しい瞬間だった。

ワルツの情熱は、まだまとわりついている。まだ2人の心は、回っている。


第20曲「休憩」

突如、低音に上昇の渦が起こる。まるで早送りでもするような急速なテンポ。第1曲を回顧し、そしてそのまま、終曲に導く。


第21曲「ペリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進」

壮麗なフィナーレの幕が、アッタッカで切って落とされる。まさに正面からの進軍。

19世紀ドイツの俗物の代名詞としてシューマンが使用した保守的なペリシテ人に対し、進歩的な芸術家たち(ダヴィッド同盟員)が一致団結して立ち向かう。重々しく、くっきりとした足取り。

過去の古い旋律と新しい旋律を組み合わせることによって、両者の戦いは進められる。二つのモティーフが交互に姿を現したのち、再び第1曲のモティーフにより、ペリシテ人は完全に敗退。変イ長調主和音の輝かしい光のうちに、全曲を閉じる。
 

シューマンのピアノ音楽の個性とスタイルが確立された作品の演奏。萩原の芸術性が、鮮やかに表われていた。

「謝肉祭」は物語風の連作形式の作品である。21の作品世界を相手にすると言っていい。その一つひとつへの、入り込み方、描き方。

開幕前の高揚感。空想と現実。優雅なワルツとぎこちないワルツ。喜劇役者の軽快さと娼婦の嫋やかさ。トリックスターの和やかな空気と優美で夢のような雰囲気。ショパンの抒情性とパガニーニの超絶技巧。諧謔精神と闘争精神。天の女性の才気と地の女性の情熱。恋人たちの秘めたる思いとゆったりとした散策。そして、ダヴィッド同盟の主導するロマン主義の勝利。

ユーモアたっぷりの道化役者と、次代を開こうとする新進気鋭の芸術家の天才と、男女の密やかな情感が、同じ重さをもって並べられている。そういう人間としての広さを持っている作品なのである。その一つひとつに入り込むことによって、まさにその緻密な作業によって、シューマンの新しい美の宣言に聴き手を出会わせる。
 

作品世界を経験させるピアニスト。音楽評論家・吉田秀和の次の文章は、そのまま萩原の演奏評であると言っていい。


  芸術作品の人を魅する力の最大の源は、それがそれまで味わったことのな
  い、ある未知な拡がりを感じさせ、そのなかに一歩一歩、前進してゆくこと
  を体験させる点にある。(中略)そういうことが可能になるのも、それは、
  芸術家が制作の際に、それを体験するからだ。制作の際、彼は感じ、考え、
  作ることを同時に行なうわけだが、それに劣らず必要なのは、彼の勇気と意
  志である。何かを作るということは、勇気の問題だとさえいえるくらいで、
  芸術家にとっては、制作とは一歩ごとに、自分の前にひろがってくる未知な
  ものとの対決にほかならない(「荷風を読んで」)。


勇気と意志。萩原は、シューマンとはまた違った意味で、新しい時代の美の宣言を行い続けている。

 

〔参考文献〕

シューマン著『音楽と音楽家』(岩波文庫)、岩波書店、1958年。
音楽之友社編『最新名曲解説全集 第15巻独奏曲Ⅱ』、音楽之友社、1981年。

松永瑛子・武田雅子著「シューマンのピアノ作品について(一) 『謝肉祭』と『子供の情景』」『三重大学教育学部研究紀要』第33巻(人文科学)、1982年。

藤代幸一著「ニュルンベルク謝肉祭劇の展開」『人文学報』169号、東京都立大学人文学部、1984年。

浅見英夫著「ロバート・シューマン作曲「謝肉祭」Op.9についての一考察」『東京家政大学研究紀要』第30(1)1990年。

山内悠子著「シューマンのピアノ作品の特徴と《謝肉祭》Op.9に関する演奏上の一考察」『東京女子体育大学紀要』第35号、2000年。

吉田秀和著『ソロモンの歌・一本の木』(講談社文芸文庫)、講談社、2006年。

藤本一子著『作曲家・人と作品 シューマン』、音楽之友社、2008年。

小林五月・武田美和子・杉谷昭子著「シューマンの作品にチャレンジ 「幻想小曲集」「謝肉祭」」『レッスンの友』第496号、レッスンの友社、2010

若林健吉著『シューマン 愛と苦悩の生涯』、ふみくら書房、2013年。





# by gei-shigoto | 2017-08-26 22:13 | 音楽

宮島達男 平和と芸術

宮島達男(みやじま・たつお、1957~)は、日本の現代美術家である。「Art in You(芸術はあなたの中にある)」という考え方を基盤に、発光ダイオード(LED)を使用したデジタルカウンター等、LEDの作品を特徴とする美術家である。20062016年東北芸術工科大学副学長。20122016年京都造形大学副学長。長崎で被爆した柿の木2世を世界の子どもたちに育ててもらう活動、「時の蘇生・柿の木プロジェクト」も推進している。

  

京都造形芸術大学の卒業式。巣立つ君への祝辞。どうか、本学で「芸術」を学んだ四年間を誇りに持って生きてほしい。そして、もし、人に「芸術は何の役に立つのか」と問われたならば、確信を持ってこう答えてほしい。「芸術は人間が人間であるためになくてはならないものだ」と。さらに、「人間と人間が、言葉や人種、国や価値観の違いを越えて、共感し合うために芸術は存在する。人間同士が理解し合うため、困難を乗り越えていくため、平和に暮らしていくために、どうしても芸術が必要なんだ」と。
 

*宮島達男著『芸術論』、アートダイバー、2017年。
 

〔感想〕

8月。平和について考える季節。

宮島は、別のところでも平和と芸術について語っている。戦争の反対語は平和ではなくて、芸術であると。平和は平穏で何もない状態。戦争はその状態をマイナス方向に引っ張るもの。それに対して、プラス方向に引き戻すものが必要で、それが芸術なのだという。なぜなら、芸術は想像力と創造力を涵養するものだから。

今月初め、私は職場で小さな取り組みを始めた。教育現場の芸術家として。ともに働く、多くの教師の参加に支えられている。身近な小さな運動である。


# by gei-shigoto | 2017-08-13 00:22 | 美術

ギーゼキング ピアノとともに

ヴァルター・ギーゼキング(18951956)は、ドイツのピアニスト、作曲家である。1895年、フランスのリヨンで生まれる。両親がドイツ人だったため、ファミリーネームがドイツ名となっている。4歳でピアノを始め、5歳で読み書きができるほどの神童で、6歳でシューマンの幻想曲を弾いたという逸話が残っている。レパートリーは幅広かったが、今日ギーゼキングは、モーツァルト、ドビュッシー、ラヴェルの伝説的演奏家として記憶されている。


こうして、ここには、ギーゼキングの歩んだ音楽的道程が、彼の信じる音楽的信念が、彼自身の言葉によって、さまざまに語られている。しかし読者は、それらを読み終えて、なお、すべてが語りつくされてはいない、いなむしろすべては不十分にしか語られていない、と感じるのではないだろうか。なぜなら、彼が彼のすべてを語りつくすのは、言葉ではなく、彼の音楽を、彼のピアノの響きを、通してだからである。そこでこそ、彼は彼の心のすべてを語る。それはもはや彼一個の心ではない。解釈者としての彼と合一した作曲者の心であり、さらには、作曲者の心にきざした音楽そのものの心であり、この世界に潜在し、遍在する、音楽そのものの心なのである。〔杉浦博「訳者あとがき」〕


*ヴァルター・ギーゼキング著『ピアノとともに』、白水社、2006年。

〔感想〕

この本に、「ペダルについて」というエッセイがある。音の陰影づけについて書かれたところがあった。ある和音を出す際、音を同時にたたくが、それぞれの音を違ったタッチで弾かなければならないと書いてあった。いちいちの音を、意識的に異なる強さのタッチで弾くのだという。驚きである。そうやって、心のすべてを語る。


# by gei-shigoto | 2017-07-20 19:09 | 音楽

堤剛・萩原麻未 リヒャルト・シュトラウス作曲「チェロ・ソナタ」

リヒャルト・シュトラウス(18641949)は、ドイツ・バイエルンの作曲家である。岡田暁生によれば、1860年世代は、「近代」から出て「現代」を切り開くと同時に、「近代」と「現代」の間で引き裂かれた世代であるという。

リヒャルト・シュトラウスと言えば、豪華絢爛たる交響詩や官能に満ちたオペラがその代名詞である。しかし、10代の頃は、ごく地味な器楽曲ばかり書いていた。

音楽教育は、父親によって徒弟教育の形で始められた。気性が激しく、短気で暴君だった父の厳しい保護下で、古典音楽の中だけで育った。父は激越なアンチ・ワグネリアンで、ワーグナーの大胆さ、規則破り、不調和を厳しく責めた。「現代的な」音楽に対する嫌悪は本当に極端なものであった。息子リヒャルトも、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを深くきわめなければ、それ以後の音楽の理解や、今後の自分の発展はありえないのだと考えていた。

作曲を始めたのは、1870年のことであった。ハイドン、モーツァルトのスタイルで出発し、メンデルスゾーンをへて、シューマン、ブラームスという道をたどっていった。彼の初期の音楽は、古典派とロマン派の範にしたがっている。

11
歳のとき、宮廷楽長W・マイヤーのもとで音楽理論を学ぶようになる。マイヤーはすぐれた謙虚な指揮者で、ワーグナー、リストをはじめ、一般的に進歩的なものに対する共感を昔ながらの心の中に持っていた。古典しかやらないというありきたりの方法では教えなかった。

そうした指導の影響であろうか。シュトラウスはワーグナーの陶酔に目覚める。17歳のころから、トリスタンに夢中になった。

シュトラウスの作曲活動が本格化するのは、マイヤーのもとでの勉強をほぼ終え、ワーグナーに夢中になり始める、1881年のころであった。

チェロ・ソナタ・作品6が作曲されたのはまさにこの時期で、1882年から83年にかけてであった。彼の最初の成功の時期である。

後期ロマン派的な生き生きとした作品で、ブラームス、ベートーヴェンのほか、メンデルスゾーンからの影響をみせている。彼の作品で、彼らしい最初のものとされる。

   第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ

第2楽章 アンダンテ・マ・ノン・トロッポ

第3楽章 アレグロ・ヴィーヴォ

第1楽章。対比。録音を聴いて、最初に浮かんだ言葉である。たった2人だが、空間の広がりがあった。

冒頭の第1主題。チェロの奥深さと、幅。演奏というより、振動と言いたかった。一方、ピアノの音たちは、華麗に彩りつつ、人の手を離れてそれぞれ弾む。純粋な何かの運動を見ている気になる。確かな大地と、絢爛たる音響。楽曲を演奏しているのだが、それより先に2人の芸術家の感動が存在する。それらがあふれ、旋律と相まって、聴き手をつかまえる。

歌を目指しつつも、歌のほうに行ってしまわない。まず一人の芸術家として、振動していること。これが、2人の共通点だと思う。

根本に、止めがたい響きのあふれ出しがある。このあふれ出しを、歌にしていくという順序。だから聴き手は、まず中心の充実にとらえられる。

第2楽章。どうして作曲家は、こんな苦しさをもってきたのだろう。中間楽章には、穏やかな情景を置いてもよかった。なぜ虚ろにうたいたかったのか。葬送行進曲風に沈鬱な表情をたたえる。

これは、18歳の一つの真実だったのだと思う。作曲家は、世の中に詩をさしはさもうと試みる。それは、確かに照らす。しかし、そうした行為のはかなさも描いてみせる。詩は、何とこの世の中に薄く存在することだろう。青年は、誰よりも時代を感じ取っている。

シュトラウスにとって作曲とは、「音楽史の中で作曲すること」であった。過去のレパートリーに通暁し、それらを踏まえたうえで、歴史的使命として自分が書くべきものを書いた人だった。青年期に自らの使命を探していたことは、想像にかたくない。作品を書くことは、使命に肉薄しようとする挑戦であっただろう。

第3楽章。そこに、小さな希望のようなものが。予感は、青年をとらえてしまう。風が吹き抜ける。薫風だ。春を謳歌している。

しかし、そのすぐ裏には、暗い何ものかが秘められていた。中盤の闘い。青年だけに訪れる危機。セザンヌの初期絵画の情念を思い出す。堤のチェロは、青年の真率さを証明しようとする。ここまで手離さずに中心に置き続けてきた心が、この場面で強く生きる。萩原のピアノは、それを支配しようとする運命か。厳しく立ちはだかろうとする。息づまる攻防。ただ燃焼のありようだけが、聴き手の眼前に置かれる。

また風は、吹き抜ける。どこまでも見渡せる心地。歩んできた道のりが、続いている。

2年ほど後、シュトラウスは、彼の人生と芸術にもっとも決定的な影響を与えたアレキサンダー・リッターと出会うことになる。交響詩《イタリアから》が生まれ、一つの独特のスタイルが確立した。交響詩に自分の未来を見いだした。しかし、もし青年期に作曲のなかで挑んでいなかったら、リッターと「出会う」ことはなかったのではないか。青年期を強く燃焼させることは、その後の人生を開くことにつながるのである。

シュトラウスは後年、このソナタを弾くことになった際、「自分でももはや信じていない曲」だとリッターへの手紙に記したという。このことは、決してこの作品の価値を減じるものではないと思う。それはむしろ、青春を純粋に音にしえたことの証ではないか。

フランスの作曲家、アンリ・ソーゲは、リヒャルト・シュトラウスの芸術について次のように記している。この録音に添えたい。


  彼の全作品には、熱っぽい情熱がみなぎっているが、しかもなお一面、芸術のなかに自分
  の夢の高まりを見いだす人々の魂がいつでも浸りきれるような音楽、最高級の音楽の性質
  を失っていないのは、彼の音楽が申し分ないほど正統的な性質をそなえているからである。  
  〔『不滅の大作曲家 R.シュトラウス』〕

*堤剛・萩原麻未『フランク&R.シュトラウス:ソナタ』(MM4009)、マイスター・ミュージック、2017年。


参考文献

安益泰・八木浩著『R.シュトラウス 大音楽家・人と作品』、音楽之友社、1964年。

クロード・ロスタン著『不滅の大作曲家 R.シュトラウス』、音楽の友社、1971年。

音楽之友社編『最新名曲解説全集 第13巻室内楽曲Ⅲ』、音楽之友社、1981年。

岡田暁生著『作曲家・人と作品 リヒャルト・シュトラウス』、音楽之友社、2014年。


# by gei-shigoto | 2017-06-12 21:24 | 音楽

堤剛・萩原麻未 フランク作曲「チェロ・ソナタ」

セザール・オーギュスト・フランク(18221890)。ベルギー出身、フランスで活躍した作曲家、オルガニストである。

フランクはベートーヴェン以降のドイツロマン派音楽、特に同時代のリストやワーグナーから強い影響を受けた。その結果彼の音楽の特徴として、半音階的進行が目立つこと、形式的には循環形式を多用することが挙げられる。前半の楽章で登場した主題の一部や全体が後半の楽章で再現されることで曲全体の統一が図られる。

エマニュエル・ビュアンゾは、フランクの音楽を他と区別する性格として、濃密さと自在さを挙げている。すなわち、思考の集中の自然な欲求から生じてくる濃密さと、メロディの線を引き伸ばし、たえず半音階をとり入れようと努め、転調をしきりと用いることによって保持されていく自在さである。

フランクの作曲活動を考えるうえで無視できないのは、教会のオルガンである。1858年、サン・クロチルド教会のオルガニストに採用され、生涯その職にとどまった。巨大なオルガンを持つサン・クロチルド教会は、間もなく、新しいオルガニストの演奏で著名な教会となった。毎週日曜日になると、全てを忘れ去って即興演奏に没頭した。

フランクに師事したフランスの作曲家・ダンディは、フランクの音楽を「敬虔なキリスト者による神への愛」と定義し、「彼においては、彼の芸術への信仰は、その芸術の源泉である神への信仰ととけあっていた」と述べている。

フランクにとっては、音楽と、理想への願望は一つに溶けあっていた。彼にとって、音楽とは、たましいの歌であり、光へと向かわせる超越的な願いを表現するものとしてだけ存在した。

「ヴァイオリン・ソナタイ長調」は、1886年、フランク64歳のおりに作られた。友人で、フランクと同郷のリエージュに生まれたベルギーの大ヴァイオリニストであるユジェーヌ・イザイにささげられた。

フランクの最高傑作で、古今東西の室内楽曲の最高峰に位置すると言われる。循環手法を巧妙に織り込んだ緻密な筆致で全曲が統一されている。どの楽章のどの瞬間をとっても、超絶的な美しさと力に満ちている。

第1楽章:アレグレット・ベン・モデラート

この作品全体を見たとき、芸術によって神に近づこうとする人間・フランクの生きざまだと感じられる。そうだとすると、この楽章は芸術家の日常なのであろう。

ピアノの4小節の序奏。もうここで、深く語っていた。込められているものの、密度。ただ背景を提示するのでなく、世界が不可思議な奥行きをもったものとして、この人物の眼前にあることまで伝えるのである。内面はすでに躍動していないか。ピアノは、この内面の密度を以後一貫して守り、生きようとする。

そこへ、チェロの第一主題。人物は、正対していた。何か高次のものに向かって。何物にもよりかかろうとしない。自分の両足でただ地面に立つとき、人は最も美しい。誰もが忘れ、省みないことの追及。

これは作曲家・フランクの姿に重なる。教会のオルガンに向き合い続けた、信仰の人。慈愛の人。まれにみる公正で、鋭敏な鑑識眼を持っていた。

ピアノは、世界に真摯に問いかけようとする人物の空間を、広く確保していた。

第2楽章:アレグロ

日常は、渦巻く嵐に変わる。不安な、息づまる第1主題。慈愛の人フランクに、どんな闘いがあったというのか。

フランクは、実は時流に黙々と反抗し続けた芸術家だった。フランス社会には、かえりみられなかった。軽いサロン風の音楽や歌劇にしか魅力を感じることのできなかった大衆の前に、ドイツ古典音楽の知的な構成力をもち、そのうえにフランスの伝統的な感性をきわめて純度高く盛った抽象的な音楽を提供したためであった。

古典と対決して進む芸術家にとって、創造とは彼らの創造魂と批評精神の格闘の結果だと、吉田秀和は言う。フランクの代表作は、すべて60代のもの。批評と創造の闘いが、フランクに40年の空白をつくりだした。

芸術とは、新しい価値の創出。社会との、自分との、あてどない闘い。情熱的に激しく高潮して、燦然と楽章を結ぶ。

第3楽章:レチタティーヴォ・ファンタジア。

従来のソナタにみられない、極めて独創的な自由な形式の楽章。

ピアノの虚ろな前奏。息づかいである。フランクその人の息づかいを、聴き手自身のこととして経験させようとする。

チェロのレチタティーヴォとなる。真率に内側を見つめる。フランクはここで、神に対するときの己の内面を描き始めているのだと思う。信仰の告白。ピアノは、人の心の定まらぬ軌跡。

しかし、何と重くたちこめていることか。光は差し込まない。この暗がりは、寺院のそれではなかっただろうか。フランクは、パリのサン・クロチルド寺院のうす明かりのなかで、バッハやブクステフーデを鍵盤のうえによみがえらせながら、時折さまよい出て、柔軟で新しい香りに満ちた旋律や、耳なれぬ転調をまさぐる自分の指を凝視していた。そうした薄暗い地点から、神を仰ぎ、求めていたことが伝わってくる。

チェロは抒情的にのびやかに弾きはじめる。高朗たる趣き。ピアノは安らぎで包む。信仰に生きる者だけに見えるもの。訴えと安らぎ。2つのものが、大きく交錯する展開。

芸術というたった一つの手段で、神に近づこうとする困難。はるかな隔たりをもって、静まりのうちに終わる。

第4楽章:アレグレット・ポーコ・モッソ

最終楽章にたどりついた。足早に開始される。世界は一転する。軽やかなカノン。薄い風が通り抜けていく。

フランクは、この何気ない平和な風が、神の恩寵であると言いたかった。虚飾を排した、晴朗な美しさ。

軽やかな風である。しかし、そこに交わされるものの豊かさ。細心に、精緻に。至高のものとの交感だけが、人にもたらせるもの。

しだいに世界が高潮していく。それまで抑えられていた、ピアノの彩度。芸術家の生を照らし出す。

そこに再び痛切な響き。第3楽章ファンタジアの主題がよぎる。しかし、それを乗り越える確信が、芸術家にはある。芸術で、人々を信仰の経験に導く。

*堤剛・萩原麻未『フランク&R.シュトラウス:ソナタ』(MM4009)、マイスター・ミュージック、2017年。


〔参考文献〕

エマニュエル・ビュアンゾ著『不滅の大作曲家 フランク』、音楽之友社、1971年。

吉田秀和著『主題と変奏』(中公文庫)、中央公論新社、1977年。

音楽之友社編『最新名曲解説全集 第12巻室内楽曲Ⅱ』、音楽之友社、1980年。


# by gei-shigoto | 2017-05-28 21:19 | 音楽

萩原麻未 チャイコフスキー作曲「ピアノ協奏曲第一番」

3月19日(日)、すみだトリフォニーホール。群馬交響楽団東京公演(指揮:大友直人)。

  千住明作曲:オペラ《滝の白糸》序曲

  チャイコフスキー作曲:ピアノ協奏曲第1番(ピアノ:萩原麻未)

  ラフマニノフ作曲:交響曲第2番

チャイコフスキーの本を4冊、ロシアの本を1冊読んだ。さまざまな知見を得た。さまざまな予測をした。

しかし聴き終えてみて、5冊の中では次の文が、萩原のこの日の演奏を最も貫いているように思った。

  考えてみるとロシアの文化は、貴族的なものとナロード的なもの、スラヴ的なものとヨーロッ
  パ的なものという異質な二つのものの絶えざる対立と相剋とをその本質としてきたし、それ
  は今後も変わらないだろう。〔原卓也監修『世界の歴史と文化 ロシア』〕


ナロードとは民衆のことである。萩原の演奏は、民衆的であると思った瞬間、貴族的な性格を見せる。区別を無化する。民衆のエネルギーに立脚しながら、貴族的なものを貫いてしまう。聴き手は安住できない。背伸びを強要される。素朴な世界に落ち着けない。気づくと、極めて高貴な地点に立たせられている。だから、曲のどこをとっても、スリリングで、発見が途切れない。見たことのない風景ばかり展開する。チャイコフスキーがこの演奏を聴いたら、何と言っただろう。

アルゲリッチの演奏は、アルゲリッチの美学の勝利だ。誰にも真似のできない、世界。しかし、萩原は民衆と貴族の衝突だ。より抜けたスケールを感じ、手応えが残るのは、このためであろう。

第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ・エ・モルト・マエストーソ

雄大な序奏部。ホルンが主奏する。踏みならすようなピアノの和音が続く。

この序奏部は、ロシアの平原の情景だと思う。オーケストラは、平原を吹き渡る風。荘厳な感じのするロシアの田園の印象は、チャイコフスキーの作品に、繰り返し現れるテーマとなった。ロシアの自然はとてつもなく広く美しく、やさしく厳しい。ピアノの和音は、情景を支える大地。敢然と進めていく。

主旋律をピアノが受け継ぐ。冬の輝きがある。と思った矢先、ピアノは早くも崩れていくのだが、このとき、さきほどとは対照的にニュアンス豊かに落ちていった。深く、繊細に懊悩を注ぎ込む。

  チャイコフスキーは、運命や宿命について多くのことを深く考えていました。それは、驚くには
  足りません。彼は真のロシア人なのですから。ロシア人は、運命、「宿命(フアトウム)」の
  存在を信じるものです。
〔ジョージ・バランシン/ソロモン・ヴォルコフ著『チャイコフスキー わ
  が愛』〕


この繊細さが、しかし今度は圧倒的な意思にたどりつくのである。独奏のあと、大地を荘厳な風が吹き渡るのだが、その風と対等に伍していた。

ここでいったん静まり、気分が一変する。ピアノに落ち着きのない旋律が現れる。第1主題だ。カメンカの町で盲目の乞食がうたっているのを聴いて採譜し、使用したもの。

素朴な唄である。しかし慄然とした。現代的で、芸術がにじむ。通過点ではなく、一つの頂点を形作っていた。

このあと、冬の情景に引き戻される。第2主題と第3主題である。冬の静かな、うつろな輝き。しかしその穏やかさを破って、チャイコフスキーは感情を露わにする。

  チャイコフスキーは、穏やかで叙情的な音楽を多く書いていますが、ほとんどドフトエフスキー
  的とも言える、嵐のような楽節もあります。ロシア人は皆、そうしたものを持っているのです。
  〔ジョージ・バランシン/ソロモン・ヴォルコフ著『チャイコフスキー わが愛』〕


第3主題が清らかに流れる。自然は確かにそこに、存在していた。

カデンツァに入る。氷を思わせる、輝き。精緻である。その一方で、訴求力があった。氷は、人の情念を照らしていないか。錯綜してやまない。彼は心のうちを、もっとも親しい友人たちや親類にだけ打ち明けたが、作品の中では世界全体に対してむきだしにしたのだ。

  曲のアイディアが浮かぶと、チャイコフスキーは勢いと情熱のおもむくままに書き上げていく。
  その結果、当時の音楽上の決まりを踏み外してしまうことがよくあった。チャイコフスキーの
  音楽が、多くの庶民的な聴衆に訴えたのは、まさにその「決まりを踏み外した」点である。
  〔マイケル・ポラード著『伝記世界の作曲家 チャイコフスキー』〕


そこへ第3主題が聴こえてくる。終結部に入ったのだ。困難を乗り越える力を、作曲家は平原に見るのである。

第2楽章 アンダンティーノ・センプリーチェ

3部形式による緩徐楽章。平和な田園的のどかさを持っている。

牧歌のようなアンダンテ主題は、弱奏ピッツィカートに伴奏されるフルートの独奏で現れる。

次にピアノがこれを受け継ぐ。静かに、しかし焦点を持って描き進める。空気を透かして、丘が見えている。

短い間奏ののちに、チェロ、オーボエの順に主題が交替演奏される。自然に接することからくる喜び。身を任せている。チャイコフスキーは、長い散歩をして、自然に浸ることを生涯好んだ。

中間部では、テンポはプレスティッシモに変わって気ぜわしいカプリッチョと化す。思いがけない、躍動感。衝動。これは、作曲家のインスピレーションではないだろうか。

カメンカやクリン、コーカサス、エトナ山とフィレンツェ、クララン(スイス)。豊かな自然をめでるあいだも、美しい旋律がつぎつぎと泉のように湧きおこった。それを自宅の書斎や旅先のホテルで、五線譜に書きおろしたのである。

第3部。平和な牧歌がピアノの独奏で再び現れる。トリルや音形装飾を加えて変奏反復される。孤独であるほど、田園は変わることなく迎え入れてくれる。

第3楽章 アレグロ・コン・フオーコ

ロシアの民族舞曲を想わせる主要主題をめぐる、ロンド形式によるフィナーレ。

4小節の導入に続いて、ロンド主題がピアノの独奏によって開始される。冬が去ったのだろうか。


  復活祭の頃、雷鳴にも似た轟音とともに河の氷がいっせいに砕けて流れ去ると、春が荒々
  しくやってくる。こうした春の訪れによって味わう解放感と、生の喜びとが、底抜けに楽しみを
  満喫するお祭り好きなロシア人の性格を作る素地になっているのであろう。
〔原卓也監修
  『世界の歴史と文化 ロシア』〕


情熱的である。とともに、現代的であった。舞曲の身体性と、高貴さ。これらが結びついて生まれる、ダイナミズム。聴き手の身体と知性をないまぜにする。両極を生き切ってみせる芸術。

続いて、ヴァイオリンの主題による歌謡風の第2主題が現れる。平原を渡る風。ロシアの田舎。ロシアの春。作曲家が愛するもののうちで、究極のものだった。

高潮を示す。凱歌のような輝かしさをます。平原を俯瞰しているようだった。チャイコフスキーは、強烈な民族的エネルギーと、洗練されたヨーロッパ的な美とを融合させて、独自の世界を築くことに成功した。

〔参考文献〕

エヴェレット・ヘルム著『大作曲家 チャイコフスキー』、音楽之友社、1993年。

ジョージ・バランシン/ソロモン・ヴォルコフ著『チャイコフスキー わが愛』、新書館、1993年。

原卓也監修『世界の歴史と文化 ロシア』、新潮社、1994年。

マイケル・ポラード著『伝記世界の作曲家 チャイコフスキー』、偕成社、1998年。

伊藤恵子著『作曲家 人と作品 チャイコフスキー』、音楽之友社、2005年。


# by gei-shigoto | 2017-03-19 21:07 | 音楽

成田達輝・萩原麻未 ベートーヴェン作曲「クロイツェル・ソナタ」

129日(日)、日立シビックセンター。洋楽文庫第2章「成田達輝&萩原麻未Duo!」。

  バッハ作曲:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番より「プレリュード」

  バッハ作曲(ラフマニノフ編):パルティータ第3番より「ロンド形式のガヴォット」

  ベートーヴェン作曲:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」

  ドヴォルザーク作曲:ヴァイオリンとピアノの為のソナチネ

  ブラームス作曲:ハンガリー舞曲集から 第1番、第5番、第6番

  サラ・サーテ作曲:ツィゴイネルワイゼン

ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」。それまでのヴァイオリン・ソナタには聴かれないほど、ヴァイオリンに活躍の場が与えられた作品である。古今のヴァイオリン・ソナタの中でも最高傑作とされる。

この曲を聴くたびに、感じることがある。過剰なまでの疾走感と悲壮感である。それは深く、息苦しいほどだ。一体これは、どこから出てきているのであろうか。私は、当時のベートーヴェンが、ナポレオンという理想を抱いていたことに注目したい。

この時代、ヨーロッパの国々では君主や領主たちによって長い間、市民や農民が多くの税金を取り立てられていた。このような社会に反発し、人権や平等や解放、自由を叫ぶ人々の集まりも熱を帯びていった。フランスに革命として起こった爆発の炎はやがて、ベートーヴェンの祖国ドイツにも引火すべき状態にあった。当時、フランスで起こっていたフランス革命は、権威の打倒であり、ベートーヴェン自身の信念の具現でもあった。大革命によってフランスで高まった、自由思想や民主主義の新しい考え方が、ベートーヴェンの住むオーストリアをはじめ、ヨーロッパ諸国の封建的な体質をつきやぶり、自由で平和な世界を人々にもたらすことを、心から期待していた。

正義感の強いベートーヴェンは、とりわけナポレオンの行動力に、深く感銘していた。ナポレオンの根底にある思想が、人間愛にあふれ、すべての国民に自由と平等を願う人間解放の精神にあふれたものである、と思うようになった。

そのような思いが結実したのが、1804年に完成した交響曲第3番「英雄」である。フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンのナポレオン・ボナパルトへの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲された大曲で、当初ナポレオンへ献呈される予定であった。

しかし、この交響曲の世界は、その前年に作曲されたクロイツェル・ソナタとは大きく異なる。この交響曲は、何とも壮麗である。威厳があって、雄々しい。英雄の凱旋を想起させる雄大でゆったりとした曲調だ。確かに、第2楽章は暗い。しかし、この楽章は、葬列の厳かな歩みを描写し、故人を悼む気持ちを表現しているのだと思う。

それに対して、クロイツェル・ソナタは、厳しく内に向かう。執拗に自身を問いつめていくのはなぜか。それは、ベートーヴェンが聴覚の障害という現実を抱えていたことに由来しないだろうか。

1801年、彼はボンの親友ヴェーゲラーに、手紙で耳の病について相談している。もしも、病のことが人に知られると、そうでなくてもねたみ深く競争相手の多い音楽の世界で、なにを出し抜かれるか、わからないということもあり、ベートーヴェンは、苦痛に耐えながら、人を避け、全力をつくして治療につとめた。

ベートーヴェンは、ウィーン郊外で、カーレンベルクのふもとにあるハイリゲンシュタットへ行く決心をした。来る日も来る日も森の中を歩きまわった。自然の中につつまれているだけで心が落ちつき、雑念からのがれることができた。

そして180210月、遺書を認める。ハイリゲンシュタットの遺書である。「運命の神が、この命の糸を断ち切るまでは、力強く生きていくことを心に固く決めた。」「わたしは音楽によって救われた。わたしは、自分の能力をすべて捧げ、その使命として負わされたものを、作り終えるまでは、この世を去ってはならないと思った。」クロイツェル・ソナタ作曲の前年に、このようなに書いていたことは、見過ごせない。

第1楽章 アダージョ・ソステヌート―プレスト

序奏部。ヴァイオリンの誇らしい響き。音の密度、内からの充実感。それに続くピアノはどうか。世界に何かを打ち込んでくる。感傷を許さない、深刻な響き。問いをなげかける。ヴァイオリンは、その問いに向き合おうとする。聴き手も直面せざるをえない。

ここに、このソナタの性格がもう現れていると思う。冒頭の誇らしいヴァイオリンの響きは、ナポレオンの姿ではないか。勇姿と数々の誉れ。それに続くピアノは、自己の現実なのだ。作曲家の問題意識。

主部。ヴァイオリンの熱情的な第1主題。このリズムが、全体を支配している。スタッカートで示される焦燥感。これは、すぐにピアノで繰り返される。そこに、はなばなしいカデンツァが現れる。飛翔。現実を脱け出し、天翔る。あざやかな理想像。

2人の疾走感。たがいにもつれあって高潮する。見通しのよさ。行き場のないエネルギー。疾風怒涛の精神。ヴァイオリンは何かをつきつけてやまない。ピアノはどこまでも押し流そうとする何ものか

そこで、静かに第2主題がはさまれる。落ち着いた空気。祈るような心地。しみじみとした心情。しかしそれも束の間、再び曲は激しく流れる。何かに、どこまでも押し流されてゆく。作品の前に、奏者の正面からの闘いがある。歴史的作品にぶつけられる。

最後、動きが止まる。物思う時があるのだ。

耳の病に打ちひしがれ、心が暗く閉ざされながらも、30代に入った彼の音楽に対する情熱は、ますます燃えさかるばかりだった。創造の前に立ちはだかる、壁。

この作品は、理想と現実の間で揺れ動く人間の物語だと思う。それが、疾走感と悲壮感の源ではないだろうか。冒頭に響いた理想。それはあまりに、輝かしい。この楽章は、それににじり寄ろうとする作曲家の内なる闘いである。

第2楽章 アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ

アンダンテの抒情的で安らかな主題と、それに基づく4つの変奏曲とコーダからなる。

打って変わって、淡彩である。緊張が解けている。薄く、軽い風が吹いている。ここまでで、十分風景が広がっている。聴き手を、田園の中に置く。見渡していたい。

ハイリゲンシュタットの森の逍遥。ベートーヴェンは、来る日も来る日も森の中を歩き回った。鳥のさえずりも聴こえる。自然の美しさは、彼のすさみがちな心を和らげた。

そこへ、ピアノの冷気。第3変奏は、暗澹と奏される。重たい現実が時に頭をかすめるのである。陽のかげりと、人生の暗がり。

そこへ、ピアノが静かな輝きをもたらす。希望が響き出ている。ヴァイオリンの澄んだ求心力。希望をつかもうとする人の祈り。ベートーヴェンにとっては、「自然と語ること」はすなわち、「神と語る」ことだった。

そして再び、田園の広がり。大きな描出。一つの昼なのに、長い旅をしたような気がした。

第3楽章 フィナーレ プレスト

突然、ピアノが破る。フォルティシモで主和音を強打する。新しい世界に突入した。現実に戻ったのである。疾駆、行進。第1楽章は、内面のあてどない闘いであった。しかしこの楽章の現実は、理想への道をつかみとった現実のようだ。決然と、細心に。

2つのテーマが、8分の6拍子のタランテラ的リズムにのって疾走し、激高する。個々人の革命を讃え、鼓舞する。ベートーヴェンは、悩み戦っている人々の友だった。

戦場でのナポレオンの進軍の情景が、どこか重なっているようだ。英雄ナポレオンが、革命を通して、その生命を人類のために捧げるのならば、音楽家である自分は、音を通して、その生命を人類の解放のために捧げよう。心をゆさぶる大きな動機が生み出された。

人が立ち止まり、駆け抜け、黙考し、前進する。これだけたくさんのものを、作曲家は込めていた。理想と現実の間で揺れ動き、迷いながら行動する人間のドラマ。

〔参考文献〕

ロマン・ロラン著『ベートーヴェンの生涯』(岩波文庫)、岩波書店、1965年。

音楽之友社編『最新名曲解説全集 第12巻室内楽曲Ⅱ』、音楽之友社、1980年。

平野昭著『ベートーヴェン カラー版作曲家の生涯』(新潮文庫)、新潮社、1985年。

手塚富雄・神品芳夫著『増補ドイツ文学案内』(岩波文庫別冊3)、岩波書店、1993年。

長塚隆二著『ナポレオン 上』(文春文庫)、文藝春秋、1996年。

青木やよひ著『ゲーテとベートーヴェン』(平凡社新書)、平凡社、2004年。

葛西英昭著『伝記ベートーヴェン』、文芸社、2008年。

青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』(平凡社新書)、平凡社、2009年。

中村孝義著『ベートーヴェン 器楽・室内楽の宇宙』、春秋社、2015年。


# by gei-shigoto | 2017-01-30 18:05 | 音楽

萩原麻未・吉田誠・横坂源 フォーレ作曲「ピアノ三重奏曲」

1月21日(土)、かつしかシンフォニーヒルズ。「饗宴~メシアン:時の終わりのための四重奏曲」(萩原麻未、成田龍輝、横坂源、吉田誠)。

  オリヴィエ・メシアン作曲「主題と変奏」(萩原、成田)

  ガブリエル・フォーレ作曲「ピアノ三重奏曲」(萩原、横坂、吉田)

  オリヴィエ・メシアン作曲「時の終わりのための四重奏曲」(萩原、成田、横坂、吉田)

ガブリエル・フォーレ(18451924)。あまりにもフランス的特質をそなえた作曲家。フランスのすべての作曲家の中でも、最も深い意味で音楽そのものだった。

フォーレが生まれたのは、ロマン主義全盛の時代だった。ユゴー43歳、ドラクロワ46歳。メンデルスゾーンは『ヴァイオリン協奏曲第2番』を、シューマンは『ピアノ五重奏曲』を書き上げており、ベルリオーズは『ファウストの却罰』を作曲しつつあった。

フォーレの作品は過渡期の様相を呈している。彼はまずロマン派の語法を取り入れ、次いで和声に重大な刷新をもたらした。

ヴェイエルモーズは、「彼の音楽は、まさしく音楽以外の何物でもない」と記している。この作曲家は、他の芸術家から何も借りなかった。あまりにも純度の高いことが、聴衆に恐れを抱かせ、普及の妨げになっているという。

フォーレはその最後の数年間において、真の哲学的悟りの世界に到達している。『ピアノ三重奏曲』は、1922年の秋から1923年の春にかけて作曲された。彼自身、格別の評価を下していたラヴェルのものとともに、当時のフランスの「ピアノ三重奏曲」を代表するものと言える。

この曲は、夜ではないかと思う。確かに、フォーレは標題的な作曲家ではなかった。その作品は、描写的なものではないとされる。ショパンと同じく、彼は画家たちが「象徴的」と呼んだような題名を、その作品に与えるのを拒んだ。音楽それ自体が、完全な言葉であった。しかし、この楽章は、一人夜に向き合っているようだ。ジャンケレヴィッチは、フォーレのすべての作品は、夜の音楽のバリエーションに他ならないと言っている。フォーレは音楽の中で「夜のあらゆる瞬間を、闇のあらゆる特性をじっくりと吟味しているのだ」。

この日の演奏を聴いて、これは印象派の絵画だと思った。さらに言うならば、セザンヌの水彩画である。彼は、夜を描いた作家ではない。しかし、色を出し合い、重ね合っていく。一つひとつの色が、あざやかさが生きている。3人のフォーレは、作品のドラマを描き進めながら、それと同時に個々人の軽く深いタッチ(筆触)も生きていた。そのような、対話だった。

第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ

ピアノの入り。風のような涼しげな始まりだった。ごくひそやかな夜風が吹いている。そこへチェロの旋律。第1主題である。角度がある。独自の思索を、混ぜてみせる。人は一人、闇の中で考えているのだ。クラリネットが受け継ぐ。この人物の純真な一面が見える。人物に、一途さを持たせる。誠実に、夜と向き合っている。ピアノは、闇の深さとわずかな輝きを合わせる。もうここで、夜の情景の描写と、人物の造形が終わっていた。

憂愁に沈んでいる。にも関わらず、胸が高鳴ってくる。気づくと、それは燃え立っていた。

第2主題がピアノに現れる。フォーレの音楽は、声低く語りかける。静かな希望。夜の静寂。かすかな予感の広がり。次第に厚く、大きく。

展開部に入ると、ピアノの低音部で第1主題が奏される。月が見える気がする。白々と浮かんでいる。晴朗に差し込む。

雲が次々にちぎれて、足早にその前を横切る。風景に内在する、神秘的な重い力。心も流れてしまう。

人の哀歓。夜一面に漂い、溢れる。果てしない世界。

夜はしかし、押し流そうとする。激しい流れに、立ち止まれない。

ひそやかに始まった夜が、人間に迫る。風のように、終わった。

第2楽章 アンダンティーノ

夜は続いている。第1主題である。穏やかに、憩う。夢の中だろうか。愁いを含み、たゆたい、調べになる。

しかし、早くもピアノが訴えてくるようだ。背負っているものがある。

カンタンド・エスプレッシーヴォの第2主題がピアノに現れる。歩んでいるのだろう。ためらいがちに、足を踏み出す。一歩一歩が、回想を深く促す。「フォーレの音楽はあたう限り都会的であり、パリ風なのである。それゆえ、夜の悩ましさの中でフォーレが見出そうとするのは、自然ではなく、常に人間、それも計り知れなく、過去を背負った人間なのである」(ジャンケレヴィッチ)。ここが、この三重奏曲の重心ではないか。フォーレの言いたかったこと。

その間、クラリネットとチェロは、寡黙を通し、時々ため息をもらすばかりだ。ピアノは語り伝えようとする。語りたいものがある。鼓動が聴こえる。

やがてクラリネットとチェロはユニゾンで回想を静かに受け継ぐ。寂しさも哀れみも。混然と入り混じりながら、次第に熱く追い求めていく。

夜の長さ。心の揺り返し。何層にも重なる。気がつくと、悲しみに明るさが織りなされていた。ピアノによって、月の光が大きく差し込む。孤独を照らす。

そして、流れはたどり着いた。曲折を経て、注ぐ。

解き放たれた人。安らぎのうちに眠る。

第3楽章 アレグロ・ヴィーヴォ

ここで、夜は破られる。クラリネットとチェロのユニゾンで激しく弾き出される主題。レオンカヴァッロのオペラ『パリアッチ』にある、「さらば歌え、道化師よ」との類似が指摘されている。

思いがけない輝きに、当惑する。こぼれる光。曲の速さと技巧性に富んだその書法は、「スケルツォ」を思わせる。朝が、あくまで見通しのよい空気の中で輝いていた。

田舎の踊りを思わせる。とともに、高雅である。溌溂とした律動感。喜びに活気づけられる。

光の動き。自在な筆致。闇を振り払って。

夜は明けた。外光に陶然とする。人生の息吹き。

最後に「パリアッチ」の主題が何度か高鳴る。高所へと向かう熱気。息もつかせない終幕が降りる。

〔参考文献〕
音楽之友社編『最新名曲解説全集 第13巻室内楽曲
』、音楽之友社、1981年。
E・ヴュイエルモーズ著『ガブリエル・フォーレ 人と作品』、音楽之友社、1981年。
ジャン=ミシェル・ネクトゥー著『新装版 ガブリエル・フォーレ』、新評論、1990年。
ウラディミール・ジャンケレヴィッチ著『フォーレ 言葉では言い表し得ないもの』、新評論、2006年。


# by gei-shigoto | 2017-01-22 20:46 | 音楽

井の頭池・松林図屏風・サント=ヴィクトワール山

1月2日(月)、井の頭公園、東京国立博物館、上野の森美術館。3つの見たいものを見た。好きなものは、よく似ていた。

朝、吉祥寺で降りる。公園口を出ると、無印良品に長い列ができていた。七井橋通りを南へ。天気がいい。目指す方向に、武蔵野の雑木の梢が見える。池に向かって下るので、上だけ見えるのである。坂を下って、七井橋に。急に、視界が開ける。
この日気づいたのは、この池の形状だった。池が丸くて大きいなら、その周りを歩いて、池を外から眺めることになるだろう。
井の頭池は違う。二筋の小川がせきとめられた形をしている。橋の上に、身体が放り出される。自然を外から眺めるというわけにはいかない。気がつくと、分け入っているのだ。風景の中に、立つ。
橋を渡って、井の頭弁財天へ。これがまたこじんまりとした佇まい。小川のほとり。神社というより、人情が迎える。普段の小さな信心を、後押しする。それだけの大きさなのだ。
自然と文化と心身の交歓。ここに、吉祥寺の本質があると思う。庶民的な伝統と、洗練された現代性。大型店とまちカフェ。昼の顔と夜の顔。一つひとつが、同じ力で街に参加していると思う。大学も近くにあるが、街とともに歩んでいて、中央を占めることはない。

普段目にする風景は、暮らしに影響すると思う。
古都・京都。これは確かに美しい。そして、深い。しかし実際に暮らして市民と交流してみるとわかるのだが、寺社に代表されるそれらの伝統を身近に感じている人は意外に少ない。自分とは違うクラスのものという意識だ。母親と2人で小さな八百屋を営んでいた主人の言葉と語り口を今でも覚えている。社会に格差があるのは当然だが、その伝統が圧倒的だと、近所の文化でも「わたしの文化」とは思えないのだと知った。

一方、大学を軸に造られた学園都市・国立にも似たようなことが言える。国立に住んでいると、「あなた一橋の出なの」と聞かれることがある。実際にはそんな人はほとんどいない。大学は、市民の生活にはほとんど関わっていない。公開講座もほとんど開かれていない。わずかに公民館活動や国際交流活動やまちカフェで接点があるだけだ。以前、大学・地域のマンドリンオーケストラと児童とが共演できる楽曲を演奏するコンサートの企画を持って大学に行き、兼松講堂を借りることができないか打診に行ったことがあったが、壁は高かった。
大学の敷地は、街の中央に広く横たわっている。もしこの3分の1でも公園だったら、市民生活は変わるだろうと思う。
もっとも、この大学町のプランができたのは大正時代のことだ。もし今コンペをやったら、きっとほとんどの建築家は、大学と住宅地との垣根を低くするだろう。キャンパスを市内に分散させる建築家もいるかもしれない。

中央線に乗って、上野を目指す。見たい絵が2つあったからだ。
家に日本国宝展の図録がある。1990年とある。場所はここ、国立博物館だった。長谷川等伯の松林図屏風を観るのは、それ以来である。
この絵の前に立った。じっと待って、踏みこたえた。すると、さきほどの井の頭池の景色と自然に重なった。この屏風の感動と、井の頭池の感動。自分の2つの感動が、同時につかめた気がした。
濃く描かれた手前の松と、淡く描かれた奥の松。幽玄な霧の松林なのだが、この2種の松の間に、われわれを引き込んでいないか。風景を経験させたい。
全ての松が同じ濃度だったら、ただ外から眺めるほかないだろう。風景には、出会えない。私にとって、風景(芸術)の感動とは、包み込まれ、経験することであるようだ。経験とは、見えているものに引き込まれ、しかし引き込まれすぎず、ただ中に浮かぶことなのだろう。

上野の森美術館へ。デトロイト美術館展。ここに所蔵されているセザンヌの「サント=ヴィクトワール山」は、大学院時代から画集で何度も眺めてきたもの。民俗芸能の研究をしていたのだが、合間に手に取るのはセザンヌの画集だった。
絵の前に立った。青の瑞々しさ。理屈抜きに、いい。これだけで、立ち止まらせる。空や山肌。そして、木立にも震える。味わっていたい。
よく知られているように、セザンヌは、人と対象との間にある空気を感じさせるために青を置いた。そうすると、一番奥の山稜は、もっと青みがかっていなければならない。しかし、山は最奥で輝いている。私は、手前の木立と山稜の間に引き出される。
あの七井橋がまた思い出される。武蔵野の樹林をくぐり抜けると、突然対岸の木立が迎える。私は、風景の中にいる。
セザンヌのこの山の作品は多い。山の存在感は、何度も引き出されている。しかし、この山稜を最も経験させるのは、このデトロイトのものなのである。
# by gei-shigoto | 2017-01-02 18:34 | 美術

遠藤幹子 デザインで命を救えるか

11月3日(木)、文京区のシェアスペース・ハーフハーフ。〇〇書店トーク11「これからの建築士賞のこれから」(山崎亮、遠藤幹子、佐久間悠、坂山毅彦)。

最近、建築もデザインも、産業の中に飲み込まれているという。どうやって生き延びていくか。それはモリスの時代と同じで、モリスも産業化と闘っていたそうだ。山崎は、建築もアートも福祉も教育も、「参加型」がキーワードになっているという。

遠藤幹子の報告は、コンテナを再利用した住民参加型のマタニティハウス(出産待機ハウス)の実践だった。妊産婦死亡率が、日本の40倍であるアフリカのザンビア共和国での、企画、設計、ワークショップのファシリテーションに携わってきた。

1.計画から参加してもらう
→運営の人手を地元で。人手を使って作る。
2.みんなで楽しくペインティング
→オーナーシップを育む。面白いことをやると、子どもも参加する。
3.建物自体がメディアになる
→絵を考えてもらったところ、ここで行われる命を守る営みを描き始めた。
4.設計のしかたを教える
→みんなが楽しく建築家になれるように。うたを作って教え合ってくれた。
5.経験者が次の村の先生に
→プロジェクトが持続するように。紙芝居を使って説明。
6.文化として伝承される
→歌と踊りの無形文化財

遠藤は、子どもを産んだことで、考えが変わったという。建築は、建築家がコントロールできるものではない。建築が育っていくのをフィードするくらいしかできないんじゃないか。
みんなを盛り上げるほうが、身体が楽だと、生理的に気づいた。たまたま建築で学んだことを使っている。ぐちゃぐちゃにならないように、サポートはする。指揮者みたいな感じ。

人の持っているクリエイティビティを伝播させて、みんなが当事者になれるようにするというのは、まさに教師が求められることだと思った。教師は普通、乗り越えられることを好まない。学生自らが、「建築できる力」を育むことを目指せばいいのである。
# by gei-shigoto | 2016-11-05 21:51 | 建築

佐藤可士和 青年期に感じていること

佐藤可士和(さとう・かしわ、1965~)は、日本のアートディレクター・クリエイティブディレクターである。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。博報堂を経て、2000年独立。同年「SAURAI」設立。主な仕事は、ユニクロや楽天グループのグローバルブランド戦略、セブン‐イレブン・ジャパンのブランディングプロジェクトなど多数。進化する視点と幅広いジャンルでの強力なビジュアル開発力によるトータルなクリエイティブワークは、多方面より高い評価を得ている。


天野 「親の意見と茄子の花は千に一つも仇がない」……といっても、いまどきの若い人にはわからないと思いますが(笑)、このことわざにぼくは反対。なんでも親の意のままに動いている人は、いい子じゃない、悪い子です。(笑)だって、自分でものを考えたり、自分の感覚で感じることを大切にしない人は頭が空っぽになる、感受性が枯れてしまう。そんな人になってしまったら、親不孝もいいとこだし、自分も不幸だよね。

佐藤 そうですね。高校生から大学生のころが、感受性のスキャナーの精度が一番高いときだと思うんですよ。その時期に感じていることが、一番大事なことだと思うんですね。たとえば、何がカッコいいのかとか……。それを考えることは、自分の美意識や生き方を考えることだし、私はこう生きたいんだという生き方を考えることでもある。ということだから、思いっきりそれを今、考えてほしいですね。

*天野祐吉・佐藤可士和著『可士和式』、天野祐吉作業室、2010年。

〔感想〕
編集者の天野祐吉。アートディレクターの佐藤可士和。本当に気持ちのいい対談である。
冒頭天野は、美意識というのはとても大事で、美意識を失った社会はいやだとはっきり言っている。それに対し佐藤は、これからの時代一番大事なのは美意識であると、これまた断言する。
日本語教師としては、大学生の時期は大事であるという佐藤の発言につかまえられる。進学に向けて、就職に向けて、努力しなければならない時期だが、これほど感じ取れる時期は他にないという。最も感受性が鋭いときなのだ。生き方を考える時期にいるということを念頭に置いて、学生と向き合いたい。
# by gei-shigoto | 2016-10-31 21:31 | 美術

ナガオカケンメイ デザインという言葉の再定義

10月27日(木)、ジャパンクリエイティブトークセッション2016「デザインという言葉の再定義」(ナガオカケンメイ(デザイン活動家)×内藤廣(建築家))

ナガオカケンメイ:京都造形芸術大学教授、武蔵野美術大学客員教授。すでに世の中に生まれたロングライフデザインから、これからのデザインの在り方を探る活動の拠点として、47都道府県にデザインの道の駅「D&DEPERTMENT」を作り、地域と対話し、「らしさ」の整理、提案、運用を行う。2009年より旅行文化誌『d design travel』を刊行。2012年より渋谷ヒカリエ8/にて日本各地の「らしさ」を常設展示する「d47 MUSEUM」を発案、運営。2013年毎日デザイン賞受賞。

ナガオカは、ロクマルビジョンという企業の原点を売り続けるブランディングを行っている。2000年前後に、カッコいいデザインの家具が中古市場に大量に出てきた。それを調べてみたら、60年代に作られたものがすごく多かった。マーケティングの数字でものを作るのではなく、本当に自分たちが作りたいものを、情熱を込めて作り続けてほしい。復刻して使い続けることで、その活動自体がブランディングにならないだろうかという提言をした。
・デザイン業界にではなく、生活者に向かって発言したい。
・今はヒットしたテーブルのデザインをコピーして競争している人が多い。時間が流れても古くならないものを大切にしたい。
・デザイナーは、デザインが美しいという1点しか気にしない。修理、価格、販売、作り手、機能、安全、環境、計画生産、使い手、デザインというポイントがある。今はデザインに偏りすぎ。
・東京はお金で全部解決できる社会。地方へ行くと、土地の状況によって、消費の様子が違う。
・70年代を経て、この国は商業国家になってしまった。70年代以降の消費社会とは違うものを出してきた。
・自分のデザインをあきらめたので、他人のデザインを見ることになった。デザイナーとしての出世欲が入ってくると、歪んでくる。

ナガオカは、オリジナルのデザインを生み出したいという欲を切っている。普通のデザイナーは、作家性を出すのに時間をかける。ナガオカは、人のものを客観的に見る時間がいっぱいある。
ここに一番共感した。私には、文化人の文章と学生の文章を丁寧に読みたいという意欲がある。良さを探したい。いくら読んでも、飽きない。いい書き手の応援団に回る。教師として、大切にしたい。
# by gei-shigoto | 2016-10-29 12:59 | 美術

吉良森子 今、ヨーロッパで起こっていること

10月25日(火)、法政大学市ヶ谷田町校舎5Fマルチメディアホール。法政大学建築フォーラム2016「建築と都市と民主主義を考える」、第3回「今、ヨーロッパで起こっていること―社会的空間を形成する主体から考える」。
講演者・吉良森子(きら・もりこ、1965~):オランダ・アムステルダムでmoriko kira architect主宰。早稲田大学建築学科大学院卒業後、ベン・ファン・ベルケル建築事務所勤務。2004年~2010年、アムステルダム市美観委員会委員。神戸芸術工科大学客員教授。

住民のイニシアチブをあくまで中心に考えながら、自らの芸術と技術を駆使して、これからの社会を作るのだという大きな志を抱き、自分のできることから一つひとつ実行していることが伝わってきた。
建築家に何ができるのか。使命に対する熱い自負が、うらやましかった。
学部2回生のとき、九州のある村落で、地域の物語のないことに戸惑ったことを思い出した。それが出発点だった。
わたしは今、教室という場で、教員室という場で、一人ひとりの物語を紡ぎ出そうとしているのかもしれない。

・建築と社会というと、チャーチルの「最初はぼくたちが建物をつくるけれど、最後は建物がぼくたちをつくる」という言葉を思い出す。建築家は可能性と責任を与えられる。それが建築の面白さ。
・昨年11月のパリのテロはショックだった。市民の集会が週に1度、ずっと続いている。思い思いに立ち上がって発言する。そこで何か決定されるわけではないが、人と都市の信頼感を確かなものにしている。
・アムステルダムは、17世紀に発展した。1648年、市庁舎ができたが、これはいわばシティホールで、市民がどうやって街をつくっていくか議論する場だった。自治が建築化されたのである。
・自治は都市に生まれたのである。国家は、私たちの民主的な空間を保証してくれるように思えるが、もともとは違ったことを意識する必要がある。人は国に属しているのではなく、文化に属しているのだ。これから国家がなくなって、都市の時代になることを願っている。
・建築家は、ボトムアップのイニシアチブに関わるようにしたい。市民は、自分たちで何とかやっていくが、どこかで空間の問題になってくる。作ろうとする何かを建築化すればいい。
・自分のコンフォートゾーンから出ることを意識的にしたい。
・建築家は、文化、社会、経済、機能など、異なる価値観を統合して考える力を持っている。縦割り思考の壁を壊して考える力。
・オランダでは、外観を審査される。「それって、街にどんなプラスがあるの?」と聞かれる。
# by gei-shigoto | 2016-10-26 20:43 | 建築